他にも俳優がゆえの制限というと、「髪」。安易に色を染めたり、パーマを掛けたりできないのはもちろんのこと、撮影中に散髪に行きたくなっても、相当に気を遣い、タイミングを計らなければ、作品の中で、髪の長さが繋がらなくなります。特にもともとの髪が短い僕なんかは、ちょっと散髪しただけですぐバレちゃう。嗚呼、ハワイ。嗚呼、全裸。もういい。
他にも、役によって「無精髭」を生やそうものなら、その長さにも気を払わなければいけない。まあ、しかし、そういった諸々で制限されることが嫌いではない僕は、そこそこに俳優という職が合ってるかもしれないです。
このコラムの配信される日、9/1、舞台の本番が幕を開けます。三谷幸喜さん作・演出の「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」。僕はシャーロックの相棒、ワトスンを演じます。僕は俳優という仕事は、「グルーヴ感」という意味のみにおいては、スポーツや音楽に、ちょっと歯が立たないと思っています。起死回生のサヨナラ逆転満塁ホームランでガッツポーズ、ライブで大観衆と一体になりアンコールに応える。しかし演劇は(もちろん演劇にも色々あって、それは素晴らしいことだと思う)、たとえば台詞という「制限」があって、その中でのおもてなしです。
しかし、演劇にはそれゆえの、制限があるからこそ「生まれる」バリューや醍醐味があると思います。制限の中でのおもてなし。決まりの中での自由。縛りの中でのグルーヴ感。東京の他、大阪、福岡にもお邪魔します。劇場で心よりお待ち申し上げます。(文/佐藤二朗)