ジャニーさんは、笑いのセンスを学ばせるために、木村拓哉と草なぎ剛に萩本欽一のオーディションを受けさせていた。2人はあと一歩で萩本の手がけたアイドルユニット「CHA-CHA」のメンバーに入るところまで行っていた。
その後、テレビ東京の『愛ラブSMAP!』などいくつかの番組を経て、1992年に始まった『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)でSMAPは本格的にバラエティの道に進んだ。この番組は『やまだかつてないテレビ』『笑っていいとも!』などを手がけていたフジテレビのディレクターだった荒井昭博に、ジャニーさんが頼み込んで実現したものだった。
ここで経験を積んだ彼らのバラエティタレントとしての才能は、1996年に始まった『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で開花することになった。すでにアイドルとして不動の人気を保っていたSMAPが、バカバカしいコントを演じたりするのが新鮮だった。木村の二枚目キャラ、中居正広のヤンキーキャラなど、それぞれの持ち味を生かしてさまざまな役柄を演じて、日本中に笑いを巻き起こしていた。21年の番組の歴史の中で、長きにわたって20%を超える高視聴率を記録しており、最高視聴率は驚異の34.2%。まさに伝説の場組だった。
SMAPに続いて、KinKi Kids、TOKIO、V6、嵐などもバラエティ路線に進んだ。そのうち何人かは司会者としても実力を発揮するようになり、バラエティ以外の番組にも進出していった。「アイドル司会者」がテレビ界ですっかり定着したのも、先駆者である中居が『NHK紅白歌合戦』の司会を務めるほどの華々しい成功を収めたからだ。
高嶺の花だった男性アイドルがバラエティの世界に降りてきて、近所のお兄さんのような身近な存在として愛される状況が当たり前になったのは、間違いなくジャニーさんの功績である。平成という時代を通じて、アイドルのあり方が変わり、その可能性はさらに広がっていったのだ。(ラリー遠田)