石狩月形で3人の少年が降り、残るは2人。最寄りの月形町は沿線で最初に開かれた町で、1881年に明治政府が原野を切り開き、政治犯など重罪の囚人を収容するための樺戸(かばと)集治監(刑務所)を設置したことによる。町名は初代典獄(てんごく=所長)の旧福岡藩士・月形潔にちなむ。次の豊ケ岡は人家ひとつ見えない森の中に、片面ホームだけがぽつんと置かれた“秘境駅”。浦臼で少年が2人とも降りてしまい、ついに鉄道ファンの貸切列車と化した。浦臼から先は沿線随一の農業地帯で、隈根尻(くまねしり)山から続く扇状地で栽培されるブドウを用いたワイン醸造も盛ん。列車は左手になだらかな山並み、右手に石狩川へと続く田んぼを眺めながらひとりとして乗降客のいない無人駅を一つひとつ、丹念に停車を繰り返していく。

 そして9時28分、列車は終着駅・新十津川に到着した。

 新十津川町は1889年、水害によって壊滅的な被害を受けた奈良県十津川郷からの移住者2489人によって開かれた。ここに鉄道がやってきたのは1931年。72年に廃止された区間にあたる、札沼北線石狩沼田~中徳富(なかとっぷ)間の開業による。当時の中徳富はいまの新十津川で、53年に改称された。駅から徒歩15分ほどの新十津川町開拓記念館には、上徳富(72年廃止)の駅名標など、札沼線関連の展示もある。

 駅舎の前で、近くの保育所に通う幼児たちが「おはようございます」と下車客に声を掛けながら、手書きのイラストカードを手渡してくれる。10時ちょうど発の、終着駅から発車する“日本一早い最終列車”となる、折り返し上り石狩当別行き列車の見送りもしてくれるという。

 平入りの切妻屋根に車寄せを張り出させた小ぶりな木造駅舎は、観光案内所と「札沼線グッズ」の販売所として使われている。

 「今日は少ないほうですよ。休みの日など、2両でもいっぱいです」

 一方で、地元客の利用は「まず、ありません」。駅から徒歩5分ほどの町役場前からは1時間に1本ほどの路線バスが、石狩川の対岸にあたる函館本線滝川駅と結んでいる。日常の通院や買い物などはそれで用が足せ、札幌方面へは「カムイ」など特急列車の利用が便利という。

 新十津川駅のホームから石狩沼田方面へ100メートルほど、廃線区間の名残の線路が敷かれている。車止めの先は、工場の建物で塞がれていた。

 札沼線は間もなく、2度目となる路線短縮の日を迎える。

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