夏目漱石は胃弱だった。死因も胃潰瘍による消化管出血だ。漱石は胃薬としてタカヂアスターゼを内服していたらしく、自身をモデルにした人物(苦沙弥先生)が登場する『吾輩は猫である』では、苦沙弥先生がタカヂアスターゼを試している。もっとも「それは利かないから飲まん」とすぐに服用を止めてしまうのだが。
胃潰瘍は胃酸過多が問題で、いくらデンプンの糖化(消化)がよくなっても、まあ治らないだろう。現在では胃酸の分泌を抑えるプロトンポンプ阻害薬やH2ブロッカー、あと胃潰瘍の原因微生物であるHelicobacter pyloriを抗菌薬(など)で除菌するのが胃潰瘍治療の標準だ。
漱石の時代にはこんな便利な薬はなかった。胃潰瘍の原因がH.pyloriが原因ということもわかっていなかった(この発見はウォーレンとマーシャルが行い、彼らは2005年にノーベル生理学医学賞を受賞する)。いずれにしても、アミラーゼの例でも分かるように酵素は植物も、(人間を含む)動物も、そして微生物も作るのだ。人がご飯を噛んで酒を作った(口噛み酒)のも、人間が作った酵素のおかげだ。
ウイスキーは大麦などの麦芽などが原料だが(後述)、麦芽の作るアミラーゼで糖化を行ない、これを酵母でアルコールにしてから蒸留する。植物由来の酵素が直接発酵するのだ。これも興味深い。
ところで、その高峰譲吉は麹菌を使ったウイルキーづくりに挑戦したことがある。麦芽そのものによる発酵(モルティングという)をせず、麹菌を使って大麦やトウモロコシを糖化し、安価なウイスキーを作ろうとしたのだ。
■現在の発泡酒は高峰譲吉が生みの親
しかし、麦芽によるモルトづくりをしていた業者の大反発にあい、なかなかウイスキー販売は成功せず、契約していたウイスキー製造会社との関係も悪化、長い法廷闘争にまで発展した。
日本では偉人として扱われている高峰のこうした挫折をぼくはアダム・ロジャースの『酒の科学』で初めて知った。もっとも、高峰は挫折で終わったりはしない。その後発見したタカヂアスターゼが商業的に大成功、アメリカの製薬会社パーク・デービスに製造・販売権を売却した。