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 平成は家族のあり方が多様化した時代だった。朝日新聞取材班が出版した『平成家族 理想と現実の狭間で揺れる人たち』(朝日新聞出版)では、昭和の慣習や制度と新たな価値観の間で悩む家族の姿が描かれている。

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 共働きが当たり前となり、男性・女性問わず、積極的な育児参加が欠かせなくなった一方、「夫が稼ぎ、妻が家を守る」という意識は根強く残る。新時代「令和」になっても引き継がれる、家族をめぐる課題。2組の家族が平成で直面した問題の一端を紹介する(肩書・年齢等は取材時のものです)。

■仕事か?家族か? 40代男性の決断

「出産すれば、これまでのキャリアから外れ、職種も限定された『マミートラック』に入ると思っていました」

 システムエンジニアの池田宏美さん(39)は10年前は子育てをあきらめていた。同じシステムエンジニアだった夫の浩久さん(41)も、夜も土日もなく働く状態だったからだ。

 しかし今、神奈川県で生後11カ月から8歳まで、4人の子育てをしている。育児休業明けには、宏美さんは短時間勤務でグループを統括する元の役職に戻る。

 大阪府出身の宏美さん。浩久さんは福岡県出身で、第1子・愛唯ちゃん(8)は里帰り出産だった。復職するときに30日の育休をとった浩久さんだが、愛唯ちゃんと二人きりで出かけても、泣き出したとたんどうして良いかわからず、家にとんぼ返りしたことも。

 宏美さんは初めての復職後について「家事も育児もワンオペ状態だった上、上司も『やれるなら頑張りなよ』という雰囲気。私も働きたかったし、求められるとセーブが効かず、時短勤務なのに夜9時まで残業ということもざらでした。1人目の時は頑張り過ぎました」と振り返る。

 愛唯ちゃんは保育園で夕食まで食べさせてもらい、寝るのが夜11時になることもあった。ある日、愛唯ちゃんに「保育園に行きたくない」と訴えられ、不安定な気持ちに気づいた。

 浩久さんは、次女の出産から40日の育休を取り、家事をすべて引き受けた。

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育休申請に「何回取るつもり?」