
M.ZUIKO DIGITAL ED 12~40ミリF2.8 PRO・ISO200・絞りf4.5・AE

デジタルカメラで撮影、モノクロ化した写真を「これはモノクロではなくモノトーンだよ、モノトーン」と先輩写真家に言われたことがある。カメラの仕上がり設定を「モノクロ」にしたわけでもなく、単に彩度を抜いただけの写真でもなかったのだが、その人の理想とする「モノクロ」とは大きくかけ離れていたのかもしれない。学生から助手時代、プロにいたるまで自宅の簡易暗室にこもり、モノクロプリントをしまくっていた自分にもそれなりの言い分はあったが、それも一つの見方と反論はしなかった。
フィルムでもデジタルでもモノクロ表現は実に奥が深く、こだわればこだわるほど着地点は底なしとなる。撮影からプリントまで、10人いれば10様の表現がある。明確な答えを見つけだそうとすること自体、無意味なことかもしれない。
最近のフォトコンテストではモノクロ写真が増えているという。確かに自身が担当する審査でもその傾向は感じる。モノクロ表現に興味を持ってもらえるのは素直に歓迎できるし、もっともっと活発化すればよいと思っている。
ただし、「安易なモノクロ写真が増えたよね」と審査員が口にすることも少なくない。「安易なモノクロ」とは、モノクロ化する技術にうとく、見栄えを意識して四隅を極端に落とす表層的な処理だけを行い、近所で売っている廉価用紙を使うような、何のこだわりも感じないモノクロ写真だ。
「カラーだとつまらないからモノクロ化した」と、何のためらいもなく言う者もしかりだ。そういう時代なのかと嘆きたくもなるが、応募されたモノクロ写真のほとんどがそれといっても過言ではない現状がある。表彰式や公開審査などで「モノクロ表現に明るい審査員(全国レベルのコンテストではほとんどがそれだ)だと安易なモノクロ写真は逆効果。カラーでつまらないものはモノクロにしてもつまらないです」と伝えるようにしているが、撮影からプリントまでこだわりのある作者はほんのひと握りにすぎない。