保育園の送りがあるとして、朝の会議は免除されていたが、「なぜ特別扱いをするんだという周りの視線を感じ、居心地が悪かった」。

 仕事が終わらず、娘を寝かしつけた真夜中や明け方に自宅で仕事をすることも。夫は心配してくれたが、会社での自身の立場との「板挟み」になり、夫が眠った後の深夜に一人起き、仕事をしていた。

 顔からは次第に笑顔が消え、当時3歳だった娘をきつく叱ってしまうことも。娘は保育園でも不安定になり、突然泣き出すこともあった。

 そんなある朝、玄関でいつものように娘に靴を履かせようとしていたときだった。

「ママ、お仕事辞めて」

 目の前が真っ暗になった。思わず両手でギュッと抱き締めると、娘の目から涙がこぼれた。「このままではいけない」。仕事と家庭が両立できる仕事に変えようと考え、派遣社員の仕事を探し始めた。

 しかし、派遣先との面談で、担当者から思わぬ言葉をかけられる。

「派遣の仕事で良いのですか。決められた仕事を何年も続けることはできますか」

 屋外広告会社の仕事は厳しかった一方で、仕事のやりがいを感じていた。

 ターミナル駅に新たな街頭ビジョンを作り、PRをまかされたときのこと。社内に当時いなかった広報担当を自ら買って出た。

 発表会の内容を中心になって企画。多くのメディアを集め、テレビでも放送され、自社の商品を広く伝える広報の魅力を感じた瞬間だった。

 そうした経験から、決められた仕事を繰り返すのではなく、自分で企画し、進めていける仕事がしたいと思い直した。

 その後、広報の仕事を軸に転職活動をして出会ったのが、家事代行サービスの「CaSy(カジー)」(東京)。

 使ったことはなく、詳しいことは知らなかったが、「私と同じ共働きの子育て世代の負担を少しでも軽くするため、サービスの認知度を高めたい」と考え、転職を決めた。

 現在は週3日間の在宅勤務制度を活用し、家庭と仕事のバランスを取りながら働く。

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「平成の時代は過渡期だ」