平成がもうすぐ終わる。朝日新聞取材班が出版した『平成家族 理想と現実の狭間で揺れる人たち』(朝日新聞出版)には、昭和の慣習・制度と新たな価値観の狭間でもがく家族の姿が描かれている。平成になり、共働きが当たり前となるなかで、仕事と育児の両立に悩む女性たちは依然多い。「女性活躍」が叫ばれる一方、労働時間を重視する昭和時代の考えは根強く残る。その一端を本書から紹介する。
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女性活躍が叫ばれる一方、実際にはさまざまなハードルがある。
現在はベンチャー企業の広報担当として働く里田恵梨子さん(36)は大学卒業後、MR(医薬情報担当者)として製薬会社に就職した。
半年間の研修後、札幌に赴任。さらに半年後に岡山への異動内示が出た。当時は、東京で働いていた今の夫と遠距離恋愛中。
このまま転勤を繰り返しながら、交際を続けていけるだろうか。互いに不安が募った。
「会社はいくつもあり、仕事は変えられる。それよりも付き合ってきた彼との関係を大切にしたい」
入社1年で会社への未練はあったが、2人でよく話し合った結果、会社を辞め、夫が住む東京に行き、結婚。その後、精神保健福祉士の資格を取得し、病院で働き始めた。
精神障害を抱えた人々の社会復帰や社会参加を支援する仕事で、MRと異なり、患者と直接やりとりできる仕事に、やりがいを感じていた。
一方で、20代後半になり、周りの友人らが出産をするのを見聞きし、子どもがほしいと思い始める。
ただ、不妊症だったため、子どもを授かるためには不妊治療が必要だった。当時の勤務先は、自宅から片道1時間40分。
不妊治療と並行しながら働くのは難しく、治療をしながら働ける職場を求めて、28歳で屋外広告会社に転職。仕事内容よりも、子どもを授かることを最優先に考えての決断だった。
その後長女を出産。社内で唯一の短時間勤務者として職場復帰した。当時、会社が営業態勢を拡充したことで業務量が増え、復帰前と比べ、社員に余裕がなくなっていた。