●重いうつ病になり、自己破産まで追い詰められる

 病院では過労と診断。しかし休んでも疲労感は抜けない。そのうち体が動かなくなり、人と会うのもおっくうになった。山本さんは重いうつ病にかかっていたのだ。

 店は回らなくなり、ブームは去った。オーナーの経営者は店ごと、エッグタルトの権利を売ってしまう。山本さんに残ったのは借金と病気だけだった。

「僕はエッグタルトの専門店の責任者でしたが、たんなる“雇われ社長”でした。だから店を売却したお金は僕には入らない。おまけに個人保証していた仕入れや支払いなどの借金もあって、とうとう自己破産するところまで追い詰められてしまったんです」

 知り合いと連絡を断ち、引きこもり生活が続いた。異常に食べるか、まったく食べないかのくり返し。自分でも生きているのか、死んでいるのかわからないときもあったという。

 借金から逃れるため、破産の手続きをしなければならなかったが、弁護士や司法書士を雇うお金もない。

「病気を抱えながら、裁判の書類をつくるって、想像以上にしんどいですよ。いろいろ経緯を思い出しながら、1日1枚書くのがやっと。とうとうある日、どうしようもなくなって、自殺しようと、海に飛び込もうと思ったんです」

●自殺しようと行った大阪港でかもめにいやされる

 うつ病や裁判。どん底の気持ちで冬の暗い大阪の海を見つめながら、今まさに飛び込もうとしていると、エサを求めてかもめたちが集まってきた。

「こんな自分でも、ビミョーに頼られてる感があって、どこか救いになりましたね。電車に乗るのもやっと、コンビニにも行かれへんという状態でしたけど、かもめに会うとほっとする。来る日も来る日も、大阪港に行っては、かもめにパンをあげ続けていました。僕は“かもめリハビリ”と呼んでいるんですが、そんなことをしているうちに、少しずつ回復に向かっていくんです」

 そしていよいよ迎えた裁判の日。他の法廷では弁護士や司法書士に付き添われた人が多い中、誰の弁護も受けない山本さんは一人で立ち、検察官からの厳しい質問に病気を押して答えていた。そのとき、ふと前をみると、黒い法曹服を着た裁判官と目が合った。「女の人や」と山本さんが気付いたと同時に、彼女が大笑いしたという。

「必死の私のようすがおかしかったようなんです」。法廷で裁判官さんを笑わすことが出来た……。苦しいかった山本さんに、少しの自信が戻った瞬間だった。

 カモメや裁判官との思わぬふれあいで、重いうつ病から抜け出す明かりが見えたのだ。自由が丘で倒れてから1年半の月日がたっていた。

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オーストラリアへ行った山本さん…