●オーストラリアで大道芸人に。帰りの飛行機で吉本映画を見て大号泣
晴れて破産からの復権が認められた山本さんは、唯一、没収されなかった飛行機のマイレージを使ってオーストラリアに飛んだ。どんより曇った憂うつな冬の日本を離れて、太陽が照りつける真夏のオーストラリアに行けば、気分も変わると思ったからだ。
そこで目にしたのは、船着場で大道芸を見せていた一人の男の子だった。
「昔、自分もあんな世界におったな、と懐かしく眺めていたんですね。そしたら、男の子から一緒にやろうと誘われたんです。試しにダンスを披露したら、道行く人が面白がって1枚のコインを放り込んでくれました。チャリンって音がホンマに有難かった。それから、どんどん回復に向かっていったんです」
1カ月半、オーストラリアに滞在して、帰りの飛行機の中だった。山本さんが立ち直るきっかけとなる決定的な出来事があった。
機内で、吉本芸人総出で出演している映画『明日があるさ』を上映していたのだ。昔、交流があった芸人たちが画面いっぱい活躍している。
「映画を見て号泣ですよ。そやったわ。俺も昔、みんなと楽しくやってたわ、と。そこから、自分もこんなことをしちゃおれん。きっと面白いことが出来るハズや。と、考えるようになったんですね」
●ニュージーランドの農家を飛び込みで営業に回る
帰国した山本さんは、社会復帰を目指して、大阪の小さな商社に就職する。その会社ではニュージーランドの農家とビジネスをつくる仕事を担当した。
「レンタカーを借りて、農家を一軒一軒、飛び込みで回りました。『私は日本から来たんやけど、お宅のカボチャ、日本で売ってみいひん?』。向こうはスーツを着た大手商社のビジネスマンしか知らないので、『ラフなジャパニーズ、ユーが初めて』と珍しがって、歓迎してくれましたね」
エッグタルトのパティシエを籠絡した交渉術がここでもいかんなく発揮された。
入社した商社は5年で解散、廃業してしまったが、山本さんはニュージーランドとしっかり太いパイプを築き、ビジネスを確立していった。自身でニュージーランドの農産物を輸入する会社を設立。ニュージーランドと取引きしたい日本の企業と現地とを結ぶコンサルタントとしても活躍するようになる。
すべての財産を失ってから5年。山本さんは見事に完全復活を果たしたのだ。