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大ヒットスイーツの火付け役から一転、うつ病、破産から復活――。現在、芸人をやりながら年間200億円を扱う貿易コンサル会社を経営する山本雄彦さんのジェットコースター人生とは。
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小さいときから人を笑わせるのが大好きだった山本さんは、大学生のとき、吉本興業のディスコ部門でアルバイト。芸人の知己を得るなど見聞を広げた。
大学卒業後はコンサルタント会社、総合商社勤務をへて、25歳で香港に会社を設立する。同時にギフト商品を扱う小さな会社に入社し、サラリーマンをやりながら、自分の会社の経営もするという“2足わらじ”の人生をスタートさせる。
30歳で独立した山本さんは、そのころ出会った飲食店経営者からマカオの人気スイーツの日本導入について相談され、急ぎマカオへ。そして開発者のパティシエと仲良くなり、独占販売契約に成功する。31歳のときだった。
このスイーツ、「エッグタルト」は爆発的な大ブームを日本全土に巻き起こす。
●エッグタルトの大ヒットで超多忙に。過労で倒れる
自由が丘と道頓堀にエッグタルトの専門店を開店すると、たちまち大評判になった。テレビや雑誌で取り上げられ、店の前には長い行列。有名百貨店への出店も相次いだ。
「僕はエッグタルト専門店の社長として、店舗管理や新規出店で飛び回っていました。このころはほとんど寝てないんですよ。オーナーの飲食店経営者も『死ぬ気になって頑張れば、山本ならまだやれるはずだ』とはっぱをかけるし。ピーク時には、ひとつ180円のエッグタルトで、年間1億数千万円も売り上げていたんです。おそろしいくらい売れていたのがわかりますよね」
しかしブームが来たものは、終わりが来るのも早い。さらに急拡大のツケが、さまざまなトラブルを招いていた。
「従業員が100人近くに膨れ上がる中で、お金の持ち逃げがあったり、工場や店舗に近隣から苦情が来たり、そんなトラブルの中でもエッグタルトのFCチェーンはアジア全域に広がり、韓国・台湾・香港・中国・タイ・フィリピンと急拡大していく状況に僕一人で対応しているうちに、ある日、とうとう自由が丘の紀伊国屋スーパーの前でバッタリ倒れてしまったんです」