「吉本興業の総帥、(当時の)林正之助会長が、毎晩、運転手付きのリンカーンに乗って来はるんですよ。気に入らんことがあったら、持ってる杖で突っつかはるんです。面白い方でしたね。今、間寛平さんらが杖をふり回す芸がありますけども、あれは会長が元ネタなんですね」
同期には芸人の今田耕司や東野幸治、少し上にはダウンタウンらがいた。彼らと親交を持ったり来日した海外芸能人から英語を教えてもらったりしたことが、現在、貿易会社の社長をやりながら、芸人もやるという二足わらじの伏線になっている。
「仕事では毎日『怪しいお客さんを笑わせて追い出せ』とか『難波駅で弁当3個もらってこい』とかムチャぶりの課題を与えられたり、海外タレントと言葉が通じなくてもコミュニケーションする方法を身につけたりと、人生で生き抜く知恵について教え込まれました」
●コンサルティング会社から総合商社に転職したが…
吉本には2年間スタッフとして勤めたが、就職は手堅く上場を目指すコンサルティング会社へ。だが現場を経験することこそが王道!と感じて、1年半でやめてしまう。次に選んだのは大手の総合商社だった。
「担当したのは、タイやマレーシアの天然ゴムの輸入です。僕は英語ができるんで、電話でお客さんとゲラゲラ笑いながら、楽しく仕事をしてたんですね。でも大企業では、ちゃんと周りの空気を読まないといけなかったみたいです」
運悪く山本さんが入社したあたりから急激に円高が進み始めた。日商岩井、ニチメン、トーメンといった名だたる商社が次々と姿を消す。山本さんがいた総合商社も経営があやしくなり、若い山本さんにリストラの矛先が向けられた。
「結局、『君ならうちをやめても他でもやれるだろう』と体よく追い出されてしまったんです。わずか半年の勤務でした。でもこの半年間で、総合商社の貿易実務を覚えられたのは、大きな財産になりましたね」。
●25歳で香港に会社を設立。サラリーマンとの2足わらじに。
半年で大手商社をクビになった山本さんだったが、タダでは転ばなかった。仕事で仲良くなった東南アジアのお客さんにすすめられて、自分で香港に会社をつくってしまう。25歳のときだった。