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大ヒットスイーツの火付け役から一転、うつ病、破産から復活――。現在、芸人をやりながら年間200億円を扱う貿易コンサル会社を経営する山本雄彦さんの、ジェットコースター人生とは。
【芸人と社長という二足のわらじを履く山本さんの芸人姿はこちら】
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寒さに震える日本をあとに、山本雄彦さんは真夏の太陽が照りつけるニュージーランドに向けて飛び立つ。
山本さんの肩書はニュージーランド農産物販売(株)社長。ニュージーランドと日本を結ぶさまざまなビジネスを推進するため、精力的に飛び回っているのだ。コンサルを頼まれている企業の分も入れると、年間200億円規模の海外貿易や市場開発にたずさわっているという山本さん。
だが彼にはもうひとつの顔がある。
芸人“タックン”だ。ピンでトークを繰り広げ、R-1グランプリにも出場経験を持ち、ライブ公演では(笑う)お客さんも(最後に)踊らせてしまう。「まだまだこんなもんじゃありません」と彼の鼻息は荒い。
芸人と社長を兼ねるユニークな山本さんだが、底抜けに明るい笑顔の裏には壮絶な人生があった。
●「笑われる」から「笑わせる」にシフトチェンジ。人生が変わる
山本さんは造船所のある大阪の下町で育った。からだが小さく、いじめられっ子だったが、友だちからからかわれて“笑われる”と、そのシチュエーションを、自ら“笑わせる”に変えていき、人気者の地位を確立したという。
「小さいときから周りの人達に『おまえは吉本に行け』と言われてました。人を笑わせることに喜びを感じられたのは、僕にとってラッキーやったと思います」
18歳で関西大学商学部に入学。そのとき、願ってもないチャンスが訪れる。
吉本興業が「なんばグランド花月」をオープンするにあたって、運営スタッフを大々的に募集したのだ。「吉本へ行け」と刷り込まれていた山本さんは、真っ先に応募する。
●ムチャぶりだらけの吉本のアルバイトでしごかれる
配属されたのは「ディスコ事業部」。
昼間は大学で授業を受け、夕方から朝まで、ディスコでVIP客担の担当を勤めるという生活を大学3年生まで続けた。