一方で完勝したマリーにしても、猛追してくる錦織の息遣いを、背中に感じていたようだ。


 
「彼はとても良い選手だ。意外性があり、緩急をつけるのが上手い。体は大きくないがパワーがあり、コートの後方からでもラリーを支配できる」と称賛した上で、「確かに僕らは、似た点が多いと思う」と、錦織と自身の相似性を認めていた。

 さらにこの年の全豪時に、マリーは、錦織のフィジカルが如何に強化されたかについても言及している。

「最近は、ジムでよく圭を見る。体も随分とフィットしてきた」と言うほどに、ジムで汗を流す錦織の姿は、ある種の危機感としてマリーの心に深い印象を刻んだようだ。

「圭はオールコートでプレーできるし、ボレーも良くなった。今までやってきたことを続けていけば、問題はない」。

 自分の背を追う2歳半の年少者に、エールとも取れる言葉をマリーは送った。

 それから7年の月日が流れ、共に出場した今季開幕戦のブリスベン国際--。マリーは2回戦でメドベージェフに破れ、自分のキャリアが終焉を迎えたことを悟る。かたや錦織は、決勝でメドベージェフを破って優勝し、自信を胸に全豪オープン開催地のメルボルンへと足を踏み入れた。

 このブリスベン優勝の主たる勝因を、錦織は「もしかしたら、人生で一番良かった可能性がある」というサーブに求めていた。勝利に至る4試合通算のファーストサーブの確率は65%。ファーストサーブでのポイント獲得率は78%を記録。とりわけ準々決勝の対グリゴール・ディミトロフ戦では、ファーストサーブ率は80%に達し、ポイント獲得率もファーストで79%、セカンドでも75%という、圧巻の数字を叩き出した。

 錦織は、この好調の理由を「正直、自分でもわからない」と言ったが、手首のケガで戦線離脱した約半年の間に、サーブ改革に取り組んできた成果であるのは間違いないだろう。フォーム改善の要諦は、ケガ再発を防ぐため、手首に負担の掛からぬフォームに変えることにあった。身体の捻り、そして肩から肘の回転を連動させることにより、手首のみならず身体全体への負荷が減ったと、昨年までパーソナルトレーナーを務めた中尾公一氏も証言する。戦線離脱の期間は、ケガの少ない身体追求に費やされた貴重な時間でもあり、ブリスベンで手にした約3年ぶりのツアー優勝は、その取り組の正しさの証でもあった。

 わずか1年4カ月前に世界1位に座したマリーの引退は、29歳の誕生日を迎えたばかりの錦織に、改めてアスリートの宿命への認識と、ある種の覚悟を植え付けたかもしれない。

 7年前にマリーに阻まれて以来、3度跳ね返されてきた全豪でのベスト8の壁。それを今こそ打ち破り、さらなる先を目指すという覚悟を。(文・内田暁)