ゲームをするという行いは、2002年頃から“ゲーム脳”などと危惧される風潮が当時あった。だが、DSの登場はこの風潮を吹き飛ばし、逆説的な「ゲームは健康にいい」という見方さえ打ち立てたのが功績だと言える。つまり、DSはこれまでゲームに関心がなかった人達にまでゲーム機を買わせ、携帯ゲーム機市場そのものを広げた立役者だというわけだ。このため、DSとPSPは壮絶な争いを繰り広げながらも、販売台数はWin-Winの関係とも言える展開になった。ヒットソフトが双方出揃う2000年代後半になると、DSとPSPを両方持つ若者も少なくなかった。
また、スマートフォンやタブレットがまだ無かった当時、PSPは出先で動画を再生できる安価なツールとしても重宝された。そのため、ゲーム機を越えた魅力がPSPにはあったのだ。
■さらなる次世代機の戦いに先鞭を付けた「Xbox 360」
PS2が我が世の春を謳歌していたところに、海の向こうから刺客が名前を変えて05年12月乗り込んできた。その名もマイクロソフトの「Xbox 360」(以下、360)。価格は3万9795円で、家庭用ゲーム機としてはいち早くハイビジョン画質に対応した。初代Xboxが国内タイトルを十分に揃えられず、記憶に残るような作品をあまり打ち出せずに終わった反省点を活かし、国内タイトルの充実ぶりも目立った。360はナムコの3Dシューティングゲーム「エースコンバット6」や、RPG「テイルズ オブ ヴェスペリア」などといった人気タイトルを先んじて発売し、一定のシェアを獲得した。
360はPS2の次世代をいく高い性能をいち早く誇っていたが、一方で「3台に1台は故障する」とまで言われた高い故障率にも悩まされた。高い性能の反面、内部が高温になり、その熱で中のはんだが溶けてしまうからとも言われている。これは世界的に起こっていた現象で、マイクロソフトはこうした故障に対し、保証期限を通常の1年から3年へと引き延ばし、既に有償修理していたユーザーに返金するといった対応に追われることになった。
最終的に360は161万台を国内で販売し、初代Xboxの53万台に対し3倍の成果を収めたものの、PS2の独壇場を切り崩すには至らなかった。だが、ナムコのアイドル育成ゲーム「THE IDOLM@STER」など、一定のコアなファン層がいたゲーム機でもあった。