人生で大切なことは書物、とくに小説から学んできたのだが、私にとってかけがえのない小説が、先日37年間の月日を経て完結した。トウチャンが亡くなったあとの何度も手に取って気持ちを慰めてくれた物語。そう、宮本輝さんの「流転の海」シリーズだ。
全9巻、400字詰め原稿用紙に換算し、なんと7000枚にも及ぶこの超大作は、堀井憲一郎氏によると、全部で1252名の人物が登場するという。おそらくこれは日本文学史上最多ではなかろうか。死んだトウチャンが作家として尊敬していたのは宮本輝さんと北方謙三さんなのだが、輝さんの紡ぐ小説世界はトウチャンの憧れであった。この小説の完結を見ることなく、お先にこの世を失礼してしまった彼のために、最終巻「野の春」は遺影の前にお供えしている。
物語は、作者の父上がモデルとなった松坂熊吾という人物が50にして一粒種のわが子(宮本氏)を得て、終戦直後の大阪で再出発をはかるシーンからはじまる。美しい妻の房江と息子伸仁の3人家族を中心に、さまざまな人物、人生が重なり合い、壮大な人間の生生流転を描いた、人間の営みのすべてが詰まった作品で、まごうことなき日本文学史上の金字塔だ。いったい幾人の人間が死んでいったかわからないが、人が生きるということ、死ぬということ、をここまで描き切った小説は今後そう簡単には出てこないであろう。
破天荒で学歴コンプレックスの強い熊吾が古今東西の書物から独学で学んだ言葉は、これまた五臓六腑に突き刺さる名文句の宝庫だ。全9巻より好きな言葉だけ羅列させてもらう。「星廻りとケンカをしてこそ、ほんまの人生やとは言えんかのお」「何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」「幸不幸の帳尻は、その人間が死ぬときに決まるもんじゃ。いまの不幸が、将来、どんな幸福へ変わるか、誰にもわかりゃせんけん」「ほんまの闇っちゅうもんを知っとる人間には、たったひとつの星のすごさがわかる」「宿命、環境、自分の中の姿を見せない核……。この三つ以上に、恐ろしい敵などいない。この三つは、鎖のようにつながり、もつれ合って、すべての人間を幸福か不幸かのどっちかのレールに乗せる。どっちかの駅にしか着かないレールだ……。」「だまされたとは何という恥ずかしい言葉であろう」「魔がさすという言葉があるが、人間は絶望して疲れると、魔に負ける。魔というやつは、こんにちはと声をかけて玄関から入ってこんけんのお……」「わしは、どうしたら『悪い人相』になるのか多少はわかる。それはのぃ、『嫉妬』じゃ。人の幸福を妬む。人の才能を妬む。人の成功を妬む。人の人気を妬む。どんな人間も、妬むという心を持っちょる。これが人間の人相を悪うさせる元じゃ」「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」「人間は変われない生き物だ。悪く変わって行くのはたやすいが、良く変わることは至難の業だ」「お天道様ばっかり追いかけるなよ」……などなど枚挙にいとまがない。