生前の飯島さんの様子を伝える、おそらく世の中で最後の記事となった週刊朝日2008年12月26日号の誌面

「女の子の悩みに応える、オリジナルのコンドームや、バイブ、コスメなど……シモのケア用品? そういうものをサイトで売る。かっこいいシモネタ産業ですね。もうすぐショッピングサイトもオープンします。その先は、お客様に育ててもらおう、みたいな」(週刊朝日2008年12月26日号)

 その後、週刊朝日の記事の内容を確認しようとかけた電話が通じず、ようやく飯島さんから折り返しの電話がかかってきたのは、校了日ぎりぎりの12月13日(土)の昼過ぎのことだ。風邪声で「原稿OKだよー」と連絡をくれた。週刊朝日のこの記事は、生前の飯島さんの様子を伝える、おそらく世の中で最後の記事となった。

 同じ日の夜、前出のウエマツさんも、飯島さんからの待ちに待った電話を受けている。

「サイトは、飯島さんのGOが出れば、いつでもオープンできるような状態でした。しばらく連絡が取れなかったけれど、13日の夜に『ごめんね~、復活した! 今から打ち合わせるからさぁ、15日の月曜にはアップすることになると思う』という電話をもらいました」

 これまで何度か延期されていたサイトのオープンが、いよいよ目の前に迫り、飯島さんのうれしい様子が電話口からも伝わってきたという。

「『来年は楽しくなるよ~、一緒に楽しもう!』なんていうノリノリの言葉を聞いて、電話を切りました。私もこれからのことにワクワクしたことを憶えています」

人生で一番悲しいクリスマス

 だが、飯島さんからの連絡は再び途絶える。スタッフの誰もが、飯島さんはいつものように「ごめんね~」とひょっこり姿を現し、いつものように「飯島さん!生きていたんですね!」と再会を喜び合う日が来ることを信じていた。

 渋谷の高層マンションの自宅で亡くなっている飯島さんが発見されたのは、クリスマスイブの24日(水)。翌年2月の警察発表によれば、死因は「肺炎」だった。死亡推定日は17日(水)頃とされ、飯島さんがひと言さえかければ、楽しみにしていた新しい事業がスタートするタイミングとも重なっていた。

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「愛さんが生きていたら、今ごろ社会は変わっていた…」