「雰囲気美人」のほかに、「気合美人」というジャンルも存在する。絶対にブスとは言わせないという気合いで完璧にメークや髪型、服装、体型に気を配っているひと。この業界ではファッション誌の編集者などにも多く生息する。そういえば、知り合いの漫画編集者は「僕は、美人をどうにか定義づけられないかと考えたときに『何を着ても似合う人』だと気づいたんです。これ当たってないっすか?」と名言風なことをぬかしていた。たしかに、私はデザイナー殺し、の異名をとるほどなに着ても似合わない(これはデブという要因もあるが)。

 もちろん美には好みもあるし、定義づけは出来ないので、時代や場所によって「美は多数決」ということになる。残念ながら日本国では「美の少数政党」に属している私だが、1人でもトウチャンのような支持者を持てれば、そして、その支持者のことを好きならば、それはそれで幸せだともいえよう。私をデートに誘ってくれた奇特な「アニキ」は、いわゆる「自他ともに認めるスタイルのいい美女」には全く興味がないのだという(そう前置きされている時点で失礼ともいえるが)。「あなたの目と声が好きです」と熱烈宣言してくれた。トウチャンに続く、数少ない支持者の登場だ。そして私も子泣き爺に似ていたトウチャンや人相がいいとは言い難いアニキの見た目を好ましく思っている。若い頃には自分や自分の付き合う相手が人からどう見られるかを気にしていたが、一般的な美醜より「好み」の方が優先されるということに年を重ねてから気づいた。好みのブサイクってあるもんね。今となっては私は迷いなく自分をブスと言い切れるのも、人間は顔立ちよりも、顔つきだ、と、思ったからだ。顔立ちは変えられないけど(整形でもしないかぎり)、顔つきは変えられる!

 ちなみにトウチャン亡き後に一番笑った本は、2年前爆笑エッセイとして話題になった「ブスの本懐」だったなぁ。著者は「ブスに厳しいブス」を自認するカレー沢薫さん。ブスアスリート界の天才だ。この本には一体何回、「ブス」と言う言葉が出ただろう。しかも、声を立て涙を流して笑ったのに、読み終わってからどんな内容だったか思い出せず、ただ、「みんな違ってみんなブス」「分け入っても分け入ってもブスの山」「職業ブス」「小悪魔DOBUSU」などの単語や文章が突き刺さっているだけ…まさに無限ループのブス地獄、空前絶後のブス研究書として類をみないばかばかしさで、ブスに興味や心当たりのある方には絶対おすすめ!

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