<先生、あなたの口の形が見えないんだ。何をしゃべっているの?>
彼は、教科書を読み込んだ。けれど、あいまいにしか理解できない。そうして、数学が苦手になっていった。理科も苦手になった。英語もダメになっていった。けれど、両親は言った。
「勉強しなさい、努力しなさい」「がんばれ!」
彼は、両親に訴えた。
「先生の言っていることがわからないんだ」
けれど、両親はこう言うだけだった。
「がまんしなさい。がんばりなさい」「負けたらだめだ」
いじめられた。そして、悪口を言われた。彼がいない場所でひそひそと陰口、ではない。彼がいるところで言われた。聞こえないから大丈夫と、考えたのだろう。
<たしかに、何を言っているかはわからない。でも、ぼくの悪口を言っていることぐらい、わかる。バカにするな!>
聴者が通う高校を受験したが、失敗してしまった。なので、ろう学校の高等部に入った。
幼稚部のときの同級生たちと9年ぶりに再会した。がまんの日々から解放された。ほとんど手話を知らなかったので、懸命に覚えた。
ろう学校の3年間を満喫した。ろう者の世界は、居心地がよかった。でも、時間は止まってくれない。イヤでも卒業を迎えることになる。働かなくてはならない。そして、彼は、聴者たちの世界に戻ることとなった。