家康より長命だった要因

 そもそも征夷大将軍とは、奈良時代末期から平安初期に創始された朝廷の役職で辺境のまつろわぬ民を鎮撫する武官、ヨーロッパ中世の辺境伯のような職であった。源頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、明治維新までに鎌倉・室町・江戸の三幕府が開かれ、38人の将軍がいる。将軍といえば日本の最高権力者であり、美酒美食と大奥の美女を思いのままとして人生を楽しんだと思いがちであるが、現実はそうでもない(多分上記のイメージに相当するのは徳川家斉だけだと思う)。

 歴代の将軍の寿命を調べてみると、鎌倉幕府9代で平均38.1±15.2歳、室町幕府14代38.7±15.1歳、江戸幕府15代49.7±19.3歳となる。鎌倉幕府、室町幕府に比べて江戸幕府は治安の安定(将軍が暗殺や反乱で弑逆されることがない)により10歳以上伸びているが、6代家継のようにインフルエンザと思われる呼吸器感染症により8歳で夭折したり、13代家定,14代家茂のように脚気による心不全で若くして死亡したりする例もある。

 徳川幕府の初代家康は戦に明け暮れ、平時も鷹狩りや乗馬で心身を鍛えたこともあり、75歳という長寿であったが、慶喜はこれを越える77歳である。もちろん、明治維新以降の衛生環境の改善や西洋医学の普及もあるであろうが、31歳にして心ならずも征夷大将軍の職を離れ、趣味の世界に生きたことが長寿の大きな要因だったのではあるまいか。

 現代の大規模な疫学調査においても、自宅でも病院や収容施設いずれにおいても本人が没頭できる趣味があると認知症の発症を予防しより長寿になる傾向があるという。自らが先頭に立って日本の改革を行おうとした慶喜にとって大政奉還や徳川宗家からの隠居は不本意だったかもしれないが、本人のQOLという点では正解だったといえるだろう。

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