東日本大震災直後にプロジェクトが始動し、今年4月の熊本地震で初めて投入されたソフトバンクの気球型基地局(写真左、写真提供:ソフトバンク)/KDDIは昨年、船舶型基地局の実証実験を行った。半径10キロ以上をカバーできたという(写真右、写真提供:KDDI)
東日本大震災直後にプロジェクトが始動し、今年4月の熊本地震で初めて投入されたソフトバンクの気球型基地局(写真左、写真提供:ソフトバンク)/KDDIは昨年、船舶型基地局の実証実験を行った。半径10キロ以上をカバーできたという(写真右、写真提供:KDDI)
東日本大震災の津波被害により、深刻なダメージを負った東北地方。NTTドコモは、基地局のアンテナが倒れることはなかったが、半数近くが停波した(写真提供:NTTドコモ)
東日本大震災の津波被害により、深刻なダメージを負った東北地方。NTTドコモは、基地局のアンテナが倒れることはなかったが、半数近くが停波した(写真提供:NTTドコモ)
応急・復旧対策を大幅に強化(NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの合計値。総務省の資料をもとに編集部作成)
応急・復旧対策を大幅に強化(NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの合計値。総務省の資料をもとに編集部作成)
熊本地震 停波基地局数の時間推移(総務省の資料をもとに編集部作成)
熊本地震 停波基地局数の時間推移(総務省の資料をもとに編集部作成)

 もはや手放せない存在となった携帯電話(スマートフォン)。東日本大震災が起きた時、音声通話は繋がりにくかった。飛躍的に充実させたというキャリア各社の対策とは。

「ツーツーツー」

 連絡を取ろうとリダイヤルしても、一向に呼び出し音さえ流れない。メールを送っても返信がない……。2011年3月11日午後2時46分過ぎ、そんな経験をした人は少なくないはずだ。それから1カ月半後、NTTドコモの山田隆持社長(当時)は会見でこう語った。

「音声は80%ぐらい(通信)規制がかかったのでなかなか繋がらなかったが、メールは電話と比べると明白に繋がった。メールの場合、30%規制を5~6時間ぐらいかけただけで、それ以後の規制はなかった」

 震災直後は単純計算して、5回に1回しか電話が繋がらない状況だったというのだ。なぜ、このような状況に陥ったか? NTTドコモ災害対策室室長の池田正氏は次のように話す。

「11年3月12日時点で、東北地方にある基地局1万1千局のうち、4900局が停波していました。主な理由は長時間の停電によるバッテリーの枯渇。地震により太平洋側を走る光ファイバーなどの伝送路も断絶した。一方で、音声通話は通常時の50~60倍にも増加。ネットワークがダウンして警察・消防等の通信も落ちる可能性があったため、規制をかけざるを得なかった」

本ではわずかな規制

 KDDI(au)、ソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)も然り。日を追うごとに通信の復旧は進んだが、全面復旧までに1カ月以上の月日を要した。首都圏直下型地震に見舞われた場合、同様の状況に追い込まれる可能性は小さくない。防災アドバイザーの高荷智也氏が話す。

「被災直後に100%の音声通話を確保することは困難。『119番』などの重要通信の確保が最優先となるためです。一般の音声通話は3.11時同様、繋がりにくい状況に陥ると考えられる」

 とはいえ、その復旧スピードは3.11時と比較にならないほど向上している。今年4月の熊本地震発生時の携帯キャリア各社の動向を追ってみよう。

 総務省がまとめた「停波基地局数の時間推移」を見ると、4月16日未明に起きた本震により、ソフトバンクでは250近い基地局が停波。ドコモ、KDDIはともに70~80基地局がサービス停止に追い込まれた。だが、通信規制がかかったのはごくわずかの間だった。ソフトバンクは「発生直後に音声通話に50%の規制をかけたが3時間で解除した」(災害対策部部長・木村潔氏)。KDDIも「音声通話が通常時の10~20倍に増加したことで通信規制をかけたが、数時間で解除」(特別通信対策室室長・木佐貫啓氏)。一方、ドコモは「発信規制をかけなかった」(池田氏)というのだ。

 背景にあるのは、格段に向上した各社の災害対策だ。携帯キャリア3社合わせた移動電源車・可搬型発電機は、3.11時よりも2.7倍増加。予備バッテリーの24時間化が図られた基地局数は5.9倍にも増えた。3.11で停波の主たる原因となったバッテリー枯渇の対策として、こうしたハードがフル活用されたのだ。

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