ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、羽生結弦さんについて。
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出場した大会で表彰台に立っていない羽生結弦。多くの日本人にとって、それは初めてに近い感覚で観る風景だったかもしれません。2012年以降、彼が表彰台を逃したのは、2013年世界選手権(4位)と2014年NHK杯(4位)の2回だけ。「君臨」とはまさにこういうことです。
ちなみに、2016年に始まったこの連載の初回は羽生くんについて書いたものでした。以来、時には熱心なファンたちから反感や顰蹙を買いながらも、幾度となく題材にさせていただいてきました。
羽生結弦に対峙するのはエネルギーを要します。それだけ彼の有り様(よう)というのは特異なものであり、いろいろな意味で刺激的なのです。3度目となる今回のオリンピックでの競技を観終えて、改めてそれを実感しました。「夢を見させてもらった」とか「感動しました」なんて軽はずみな言葉では済ませてはならない、史上稀にみる複雑で面倒臭いスター。それが羽生結弦です。
彼は常に「王道」とは真逆の選択をする競技者(アスリート)として今日まで存在してきました。いつしか彼こそが「王道」だと思い込んでいる人も多いかもしれませんが、こんなにも突飛で手堅さを感じさせない王者(キング)は後にも先にもいないでしょう。
何でも頂点を極める人というのは、いろいろな部分を拗らせているものです。その拗らせが人を惹きつけるわけですが、こと羽生結弦に関しては、だんだん観ている側が苦しくなってくるぐらい、実に様々な「不安定要素」で溢れています。そしてその不安定さは天才的であり、故にハマった者を前後不覚に陥らせるのはもちろんのこと、冷静な人たちの心までをもざわつかせる魔力があるのです。
まだ誰も競技の場で成功させたことのない「クワドアクセル(4回転半ジャンプ)」を跳ぶためだけに臨んだと言ってもよい此度のオリンピック。見事「回転」は認められ、「史上初めてクワドアクセルを跳んだ選手」になった羽生くん。もちろん、転倒せずに着氷しなければ成功ではないものの、すでに「4回転が人間の限界」とも言われていた中、たったひとりで次の扉をこじ開けた功績は凄まじく、ひとえに彼の「性(さが)」をもってしなければ、挑戦すらされなかったことかもしれません。まさに表彰台と引き換えに動いた歴史だと言えるでしょう。
さらに競技後のインタビューで彼は言いました。「努力って報われない」。これは理解や共感の範疇を超える難関に挑んだ孤高な人だけが辿り着ける境地です。道徳の教科書などに載せるのならば、この言葉こそ子供たちに教えるべき真理ではないでしょうか。
「自分らしさを貫く」なんて簡単に言いますが、そもそも人とは違う気質を持ち合わせ、普通をかなぐり捨て、不安定な自分に酔い、周囲を戸惑わせ、それでもなお求められるほどの強さや魅力を持った人でなければ成立しません。
この先、仮に競技人生を終えるとしても、彼が「王道」を選ぶことは決してないでしょう。彼によって達成された偉業は数知れず。と同時に、「異形(いぎょう)の人・羽生結弦」に私はありったけの敬意を表します。
ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
※週刊朝日 2022年2月25日号