らーめん 福籠/東京都台東区柳橋1-13-4 浅草橋丹羽ビル1F/11:00~15:00(L.O.14:30)、18:00~22:00(L.O.21:30)/筆者撮影
らーめん 福籠/東京都台東区柳橋1-13-4 浅草橋丹羽ビル1F/11:00~15:00(L.O.14:30)、18:00~22:00(L.O.21:30)/筆者撮影

「まずは塩ラーメンと醤油ラーメンからスタートしました。憧れの『すみれ』のラーメンを自分が作っていると思うと、手の震えが止まらなかったのを覚えています。1カ月間休みなしで必死に働き続けましたね」(畑谷さん)

 その後、畑谷さんは社員採用され、再び札幌本店での修業が始まった。味噌ラーメンは先輩たちが作っていたので、ギョーザ、チャーハン作りから始まり、本店では3年間働いた。

 ある日、畑谷さんは社長の村中伸宜さんに小樽店に呼ばれる。社長自らが味噌ラーメンの作り方を教えてくれるというのだ。その後、社長のテストにも合格し、畑谷さんは小樽店、ラー博店など各地でラーメンを作るようになる。06年には池袋店の店長に就任。その後、京都店、ラゾーナ川崎店など支店の立ち上げにも携わり、12年末に退社した。アルバイトで入ってから、11年以上が経過していた。

 いよいよ独立に向けて動き出した畑谷さん。池袋店にいた頃から、独立するなら東京でやりたいと考えていた。これまでに「すみれ」出身者のなかに関東で独立した人がいなかったこと、そして札幌のように「すみれ」のラーメンがまだ定着していない大都市・東京で挑戦したいという強い思いがあった。半年間物件探しをし、浅草橋での開店を決めた。山手線エリアから近い割に下町の雰囲気の残ったこの街が気に入ったという。居抜き物件ではなかったが、思い切って借り、いちから内装を作った。

「福籠」店主の畑谷雄飛さん。味噌ラーメンの名店「すみれ」出身店の先駆けとして、おいしいラーメンを作り続ける(筆者撮影)
「福籠」店主の畑谷雄飛さん。味噌ラーメンの名店「すみれ」出身店の先駆けとして、おいしいラーメンを作り続ける(筆者撮影)

 こうして13年6月、「らーめん 福籠(ふくろう)」はオープンした。「福」が「籠(こも)る」ようにという意味と、「不苦労」(苦労しないように)という意味を込めて名付けた。

 地域に根差した店を目指したが、お客が一向に来ず、半年で運転資金がなくなってしまった。そもそも店の前の人通りも少なく、店の存在を知ってもらわない限り、続けていくことは難しい状況だった。

 しかし、畑谷さんは宣伝を一切しないというポリシーを貫いていた。

「自分のラーメンの味だけで勝負したかったんです。あえて『すみれ』出身ということも大きくは謳(うた)わないようにしていました」(畑谷さん)

 基本的に、ラーメンの作り方は「すみれ」とほぼ同じだ。だが、「すみれ」の作り方は独特で難しく、開店から8年経った今も改善を重ねてブラッシュアップしているという。

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「驚くほどうまくはまったんです」