「ちんちん電車」と呼ぶのに相応しい形態の東京市電400型。壮年期の獅子文六も乗車しただろう。浜松町一丁目(撮影/宮松金次郎:1934年8月26日)
「ちんちん電車」と呼ぶのに相応しい形態の東京市電400型。壮年期の獅子文六も乗車しただろう。浜松町一丁目(撮影/宮松金次郎:1934年8月26日)

 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、路面電車が「ちんちん電車」と愛称される由来について解説しよう。

【写真】車掌台の紐を引いて運転手に合図を送る、22年前都電荒川線の車掌の姿はこちら

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 路面電車は、手軽で便利な交通手段として庶民の生活の中にとけこんできた。市電や都電の略称の他に「ちんちん電車」という愛称で乗客から親しまれてきた。

 いつのころから「ちんちん電車」と呼ばれるようになったのか、その理由(わけ)を考察した。

車掌台の紐を引いて運転手に合図を送る都電荒川線の車掌さん。「路面電車の日」に営業運転された6000型車内の一コマ。(撮影/諸河久:1999年6月10日)
車掌台の紐を引いて運転手に合図を送る都電荒川線の車掌さん。「路面電車の日」に営業運転された6000型車内の一コマ。(撮影/諸河久:1999年6月10日)

獅子文六による「ちんちん電車」の由来

 作家・獅子文六(本名:岩田豊雄/1893~1969)は路面電車が「ちんちん電車」と呼ばれるようになった由来を、著書「ちんちん電車」(朝日新聞社刊・1966年4月/現在は河出文庫に収蔵)の文中でこう語っている。

「動きまァすチン、チン……」

 昔の市電の車掌は、発車する時に、そんなことをいった。もっとも、チン、チンというのは、紐でひっぱる信号のベルの音だが、動くという言葉だって、ほんとに用いたのである。(中略)

 そして、“チン、チン”の方であるが、車掌台に、白い、太い紐が下がっていて、車掌さんが力をこめて、グイ、グイとひっぱると、運転台の上部に、とりつけたベルが、引いた数だけ、鳴る仕掛けになってる。二つ鳴れば発車、一つ鳴れば停車である。(中略)

 とにかく、“チン、チン”の歴史は古く、この音を聞かなければ、電車に乗ったような気がしなかった。そこで、“チン、チン電車”という語ができた。(中略)

 しかし、異説があって、“ちんちん電車”のチンチンは、紐信号のことでなく、運転手が足で踏鳴らした、警鐘の音だという、専門語で、フート・ゴングというそうだが、やはり、これも、チン、チンと聞こえた。(中略)
 
 昔は、線路の上を、平気で歩く人物が多かったので、断えず、鐘を鳴らす必要があったのだろう。まるで、チン、チン鳴らさなければ、電車は走れないもののように、頻繁にならした。だから、“ちんちん電車”フート・ゴング説というのは、大いに有力であるが、“動きまァすチン、チン”の方を否定するまでには、至ってない。事実としては、その両者の“チン、チン”が一緒になって、子供の心の中に、“ちんちん電車”の観念を、形成したのだろう。(引用終わり)
 

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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