お茶の水坂を上る13系統岩本町行きの都電。右端には荷物を満載した日本通運のいすゞTSD型四輪駆動トラックが写っている。水道橋~順天堂病院前(撮影/諸河久:1969年6月9日)
お茶の水坂を上る13系統岩本町行きの都電。右端には荷物を満載した日本通運のいすゞTSD型四輪駆動トラックが写っている。水道橋~順天堂病院前(撮影/諸河久:1969年6月9日)

 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は本郷台地から外濠通りを水道橋に下るお茶の水坂と、坂下で交差する白山通りを走る水道橋線の都電だ。

【50年以上が経過した現在の光景は!? 当時の本郷の街並みなど貴重な写真はこちら(計6枚)】

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 神田川の南岸に位置する駿河台と、これに拮抗する北岸の本郷台がおりなす御茶ノ水渓谷は、江戸城の外濠として防衛上の重要な役目を果たしていた。御茶ノ水の渓谷美は明治期から絵画や詩に遺されており、現在でも四季折々の移ろいを楽しめる都心の景勝地だ。

 駿河台と本郷台を結ぶお茶の水橋に敷設されていた錦町線の線路遺構の話題は既に配信しているが、今回は本郷台地の南端を東西に貫く外濠通りに敷設された御茶ノ水線の「お茶の水坂」と、坂下の白山通りに敷かれた水道橋線を走る都電と街並みの話題だ。

 冒頭の写真は「お茶の水坂」の上り勾配を力走する13系岩本町行きの都電。水道橋から本郷元町まで、230mの上り坂が続く御茶ノ水線の難所だった。画面右側には震災復興公園として1930年に開園された「元町公園」の樹木が見える。洋風に造園された園内からは神田川の渓谷美と駿河台の街並みを鑑賞できる。高層建築が無かった時代、好天日には「富士山」が遠望できたため、お茶の水坂も「富士見坂」の一つに数えられていた。

お茶の水坂の近景。神田川寄りには歩道が設置され、渓谷美を鑑賞しながら散策を楽しめる。左側奥の建物は対岸の神田三崎町に所在する東洋高等学院の校舎。(撮影/諸河久)
お茶の水坂の近景。神田川寄りには歩道が設置され、渓谷美を鑑賞しながら散策を楽しめる。左側奥の建物は対岸の神田三崎町に所在する東洋高等学院の校舎。(撮影/諸河久)

 半世紀を経た近景では、神田川寄りに街路樹が植樹された歩道が設置されて、人に優しい緑豊かな「お茶の水坂」に変貌していた。元町公園の背後の建物が東京都立工芸高校の校舎で、クリエーターの養成校に相応しい際立った外観をしている。その右奥の高層建築が東京ドームホテルで、前世紀末の1999年から営業を開始している。

■風光明媚な御茶ノ水渓谷が都電車窓に展開

 外濠通りに設置された御茶ノ水停留所から13系統新宿駅前行きの都電に乗車。停留所を発車すると、神田川に架橋されたお茶の水橋が左手の視界に入ってくる。往時は橋上で折り返す錦町線があったことを思い出す。右側には東京医科歯科大学の建物が見え、関東大震災までは、この地に東京女子高等師範の学び舎があった。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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