お茶の水坂上から水道橋に勾配を下る13系統新宿駅前行きの都電。対岸の駿河台には国鉄(現JR)中央線が走る。右端の乗用車は日産ブルーバード410型。 本郷元町~水道橋 (撮影/諸河久:1964年12月21日)
お茶の水坂上から水道橋に勾配を下る13系統新宿駅前行きの都電。対岸の駿河台には国鉄(現JR)中央線が走る。右端の乗用車は日産ブルーバード410型。 本郷元町~水道橋 (撮影/諸河久:1964年12月21日)

 直近の三差路の交差点を直進すると大きく展望が開け、湯島から本郷元町(現本郷二丁目)に町名が変わる。右には順天堂大学病院が所在し、少し西側に「日本学生会館(旧・文化アパートメント)」が見えると、本郷元町の停留所だ。ちなみに、1965年に実施された町名変更にともなって、本郷元町の呼称は順天堂病院前に改称された。

 本郷元町を発車して200mくらい進むと、最急勾配が52.6パーミルの「お茶の水坂」に差し掛かる。頭上には「特別坂路 注意」の標識板が現れ、都電は一旦停止してからブレーキを緩め、水道橋に向けて坂を下って行く。車窓左手には神田川畔の渓谷が続き、対岸には国鉄(現JR)中央快速・緩行線が並走している。御茶ノ水駅に向かう中央線上り快速電車と緩行電車がクロスオーバーするファン垂涎のシーンが展開する。

 次のカットは本郷元町を発車してお茶の水坂に差し掛かる13系統新宿駅前行きの都電。画面右側の上空には「特別坂路 注意」の標識板が見える。神田川を挟んだ対面の建造物は、1995年まで駿河台に所在した日仏会館と推察した。画面左端には東京医科歯科大学を背景にした13系統水天宮前行きも写っている。

昭和の香りが漂う本郷元町の家並を背景にして、お茶の水坂を上る13系統水天宮前行きの都電。左から三軒目の二階建て家屋が「鉄道模型社」と推定した。右端には日本学生会館が写っている。水道橋~順天堂病院前(撮影/諸河久:1968年3月12日)
昭和の香りが漂う本郷元町の家並を背景にして、お茶の水坂を上る13系統水天宮前行きの都電。左から三軒目の二階建て家屋が「鉄道模型社」と推定した。右端には日本学生会館が写っている。水道橋~順天堂病院前(撮影/諸河久:1968年3月12日)

■母校・日大経済学部屋上から撮った本郷の都電風景

 1968年3月31日に、母校である日大経済学部三崎町校舎前を走る水道橋線の廃止が予定されていた。春休み中の校舎の屋上から、後述の水道橋停留所と一緒に本郷台方向の都電を撮影した。このカットは、アサヒペンタックスSVにタクマー200mmF3.5望遠レンズを装填した一コマだ。画面手前が神田川の北岸で、外濠通りにはお茶の水坂を上り順天堂病院前停留所に接近する13系統水天宮前行き都電が写っている。この13系統も撮影した3月いっぱいで、運転区間が新宿駅前~水天宮前から新宿駅前~岩本町に短縮の予定だった。

 画面右端のクラシックなビルが「日本学生会館」だ。この建物は大正期の1922年に竣工した日本初の洋式集合住宅。本郷のランドマークの一つとして親しまれたが、老朽化したため1986年に解体された。

 都電の背景が戦災を免れた本郷元町の街並みで、昭和の雰囲気を醸し出す佇まいが残されていた。この一隅には、筆者も通った「鉄道模型社」の店舗が盛業していた。同社はHOゲージのC62型やEF58型など、国鉄の看板車両をいち早く製品化した鉄道模型メーカーで、戦後の鉄道模型業界の原点となった。
 

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活気あふれる水道橋の光景