アマビエ(『肥後国海中の怪』京都大学附属図書館蔵)
アマビエ(『肥後国海中の怪』京都大学附属図書館蔵)

 ツイッター上で「疫病退散」や「終息祈願」などのコメントとともに拡散される、奇妙なイラスト。とがったくちばしに、ぎょろっとした目。うろこだらけの体は人魚のようだが、その正体は「アマビエ」と呼ばれる妖怪だ。

 アマビエが初めて“目撃”されたのは、江戸時代にさかのぼる。肥後の国(本)の海に現れたアマビエが、「病気が流行したら私の絵を描いて広めよ」と告げたとされている。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、そのアマビエがSNS上でにわかに注目を集めている。終わりの見えない未知のウイルスへの不安やデマが飛び交うなかで、ツイッターにアマビエのイラストを投稿する人が急増した。この奇妙な妖怪がなぜ生まれ、人々の心を動かすのか。アマビエに詳しい、福井県文書館職員の長野栄俊氏が読み解く。

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 144年前の明治9年(1876)6月21日、『長野新聞』は紙面に奇妙な図版を載せた。長髪に突き出した口、ずん胴の下には3本のヒレ、背には背びれもある “異形”だ。記事には、

<肥後国(熊本県)青沼郡磯野浜に毎夜現れて人を呼ぶものがあった。光を放って恐ろしい姿である。通りかかった旧熊本藩士の芝田忠太郎が素性を問うと「私は海中で(世界を?)司る尼彦である。今年から6年間は豊作だが、国中に激烈の難病が流行して6割ほどの人が死ぬだろう。しかし、私の姿形を写して朝夕見る者はこの病気を免れることができる。このことを告げるため、毎夜こうして陸に上がってきて待っていたのだ」と答えた。人々はこれを「尼彦入道」と名付け、その姿を写し持っているとのことだ>(原本から筆者訳)

 とある。同紙の読者がその流行と拡散の真偽を問うたことから記事になったようだが、同紙記者は「そんな話は聞いたことがないし、不開化の人たちには誠に困ったものだ。こんなものを写して見るくらいなら、新聞を読んで養生しなさい」と締めくくっている(ちなみに青沼郡磯野浜という地名は実在しない)。

 さて、現代でも似たケースがツイッターをはじめSNS上で大流行している。新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、冒頭の「アマビエ」を描いた摺り物(かわら版)の資料画像とその二次創作物が日々拡散を続けているのだ。元の摺り物には弘化3年(1846)の日付があり、次のような文章が載っている。

<肥後国海中へ毎夜光物出る。所の役人行き見るに図のごときの者現ず。「私は海中に住むアマビヱと申す者なり。当年より6か年の間、諸国豊作なり。しかし病流行。早々私を写し、人々に見せそうらえ」と申て海中へ入けり。右は写し、役人より江戸へ申し来る写なり>(原本から一部表記を改めた)

 これを先の尼彦入道の記事と比較してみてほしい。海中から現れ、豊作と病気流行を予言した点は同じで、自身の姿を写して人々に見せるよう告げた点も似ている。図像は一見の印象ではあまり似ていないが、図を構成する個々の要素——長髪・突き出た口・ずん胴・3本のヒレ——は一致しており、左向きという点も同じだ。この類似は偶然のことなのか。

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アマビエと尼彦入道とあま彦