コレラが流行した明治15年(1882)の新聞には、東京の絵草紙屋(娯楽本や錦絵の版元・販売店)で「三本足の猿の像」と「老人の面に鳥の足の付いた得体の分からぬ絵」が「コレラ病除けの守り」として販売されたとの記事が載る。前者は天保14年のあま彦を復刻したもので、その錦絵が現存しており、後者も「尼彦入道」と題した単色の摺り物が伝来する。疫病の流行やその“気配”にあわせて各種の“予言獣”は繰り返し何度も出現しており、アマビエも突如として現れたものではなかったのだ。


左=天日子尊(『東京日日新聞』明治8年8月14日)(『帝都妖怪新聞』角川ソフィア文庫より引用転載)、右=アリエ(『甲府日日新聞』明治9年6月17日)(『帝都妖怪新聞』角川ソフィア文庫より引用転載)
左=天日子尊(『東京日日新聞』明治8年8月14日)(『帝都妖怪新聞』角川ソフィア文庫より引用転載)、右=アリエ(『甲府日日新聞』明治9年6月17日)(『帝都妖怪新聞』角川ソフィア文庫より引用転載)

 転写やリバイバルを重ねるうち、元の姿が徐々にあるいは大胆に変容していく。これは写す人の絵の能力、あるいは摺り物を売る側の“工夫”によるのだろうが、今回のSNSでの拡散でもやはり図像の変容現象が起きている。

 素人からプロのクリエイターまで、多くの人が投稿した画像を見てみると、華やかに彩色されたものが多く、左向きだけでなく正面を向いたものや3本のヒレが10本ほどに増えたもの、人魚に寄せて描かれたもの、擬人化が進んだものなど、その形態はさまざまだ。また媒体の変容も進んでいる。フリマサイトではアマビエのTシャツや缶バッジ、ハンドメイドのストラップ、それにお札やお守りなど護符の類までもが販売され始めている。

 明治時代の役人は「えたいの分らぬ絵などを販売するは愚人を惑し、甚だ予防の妨げに成る」として「あま彦(尼彦)」や「尼彦入道」の図像販売を差し止めたという。現代のSNS上でも社会を混乱に陥れ、感染症予防の妨げとなる悪質なデマが数多く拡散されている。それらと比べれば、愛らしいアマビエ画像のリバイバルと変容、拡散(リツイート)は、閉塞感漂うこのご時世にちょっとした楽しみと連帯感を与えてくれているように思う。(文/長野栄俊)

◯参考文献
湯本豪一「予言する幻獣」(小松和彦編『日本妖怪学大全』小学館,2003)。同『日本幻獣図説』河出書房新社,2005。長野栄俊「予言獣アマビコ考」(『若越郷土研究』49-2,2005)。同「予言獣アマビコ・再考」(小松和彦編『妖怪文化研究の最前線』せりか書房,2009)。湯本豪一編『帝都妖怪新聞』KADOKAWA,2013。笹方政紀「転写する呪い」(『怪』vol.0044,2015)。湯本豪一『日本の幻獣図譜』東京美術,2016。常光徹『予言する妖怪』歴史民俗博物館振興会,2016。笹方政紀「護符信仰と人魚の効能」(東アジア恠異学会編『怪異学の地平』臨川書店,2018)。

◯長野栄俊(ながの・えいしゅん)
1971年生まれ。文書館職員・図書館司書。主な著書(共著)に『妖怪文化研究の最前線』(せりか書房)、『47都道府県・妖怪伝承百科』(丸善出版)、『日本奇術文化史』(東京堂出版)、論文に「予言獣アマビコ考」などがある。

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