「ラーメンを食べるな!」と言われた一流ホテルシェフが55歳でキャリアを捨て、ラーメン屋を始めた理由

ラーメン名店クロニクル

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2019/06/23 11:30

神田 勝本/東京都千代田区猿楽町1-2-4/11:00~17:00/日曜日定休/筆者撮影
神田 勝本/東京都千代田区猿楽町1-2-4/11:00~17:00/日曜日定休/筆者撮影
 京都全日空ホテル(現・ANAクラウンプラザホテル京都)の元総料理長・松村康史さん(59)は、36年という長きに渡り、ホテルのシェフとして腕を振るってきた。そんな松村さんが料理人人生の最後に選んだのが「ラーメン」だった。15年3月に独立し、水道橋に「中華そば 勝本」をオープン。今では、「神田 勝本」(神保町)、「銀座 八五」(東銀座)を含む3店舗を展開している。

 1959年に京都で生まれた松村さんは、高校卒業後に調理師の専門学校に入学。当時は、ナポリタンのような西洋料理を日本人向けにアレンジした洋食が流行っており、京都でも日本風にアレンジしたフレンチやイタリアンが注目を集めていた。松村さんも、洋食の料理人を目指すことを決意した。

 専門学校卒業後、19歳で比叡山国際観光ホテル(現・星野リゾート ロテルド比叡)に入社。皿洗いや野菜の皮むきなどのから始まり、2年間の下積みののち、3年目から徐々に料理をさせてもらえるようになる。鶏や魚のさばき方から、カレーのルゥの仕込みまで、料理の基本を1から身につけることができた。

店主の松村康史さん(筆者撮影)
店主の松村康史さん(筆者撮影)


 27歳のときに、新規オープンする京都全日空ホテルに転職。総料理長の下に、各セクションの料理長がおり、入社時、松村さんは85人いる洋食部門の下から15番目ぐらい。宴会料理やブライダルを担当し、最終的には全ての料理を統括する総料理長にまで上り詰めた。

 料理人として順風満帆にキャリアを重ねた松村さんだったが、ホテルがANAクラウンホテルに売却されるタイミングで退職を決意する。55歳のときだった。

 松村さんはそれまで、15000~20000円という価格帯の高級フレンチを作ってきた。だが、もっと安い値段で本当に美味しいものが提供できたらどれだけ素晴らしいだろうと考えた。丼の中で前菜からメインディッシュまで完結し、気取らず食べられるラーメンに惹かれた。ホテルの上司からは「ラーメンは味が濃いから食べるな」と言われていたが、松村さんは京都の名店「新福菜館」「本家第一旭」「天下一品」などをこっそり食べ歩いていた。そして料理人として最後のステージに「ラーメン」を選んだ。

 ホテルの総料理長だった自分ならすぐに美味しいラーメンを作れるだろうと高を括っていたが、現実はそう甘くはなかった。美味しいブイヨンは作れるのだが、上品すぎるスープに麺が入るとバランスが変わって“ラーメン”にはならない。今までの料理で取り除いてきた、えぐみや雑味がラーメンでは旨味に変わることもわかってきた。上品さを保ちながらもラーメンとして成立する一杯を目指し、研究を重ねた。

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