湖池屋がいかに生まれ変わったか、商品開発がいかに大事かを語った講演が終わると、名刺交換を求める人たちで長蛇の列ができた。一人一人と丁寧にコミュニケーションする姿があった(撮影/伊ケ崎忍)
湖池屋がいかに生まれ変わったか、商品開発がいかに大事かを語った講演が終わると、名刺交換を求める人たちで長蛇の列ができた。一人一人と丁寧にコミュニケーションする姿があった(撮影/伊ケ崎忍)

「いくらデータを見たり、リサーチをしても、見えてこないものがあるんですよ。それを大事にしてほしいんです。自分の思い、世界観です」

 父は証券会社勤務、母は祖父の家業である割烹店(かっぽうてん)を切り盛りしていた。10歳上の兄がいるが、早くに結婚して家を出たので、一人っ子のように育った。絵を描いたり、ものを作ったりするのが好きだった。小学校に入る前、自分で厚紙を切り、イラストも描いて作ったカルタが今も残る。教育熱心だった母は、わざわざ学区外の小学校に通わせた。やがて割烹店に来ていた早稲田大学教授から興味深い提案をされる。英語の家庭教師をつけてはどうか。こうして中学時代に出会ったのが、ドイツ人のケルスティン・ティニ。後にノーベル賞の賞状を作る装丁家となる女性だ。佐藤はいう。

「アインシュタインを教えたルドルフ・シュタイナーが作った神智学という学問を英語で学びました。自然哲学とも言います」

 空を見上げれば、スケールの大きさがわかる。火をみれば、心も燃えてくる。海の深さを知れば、冷静になれる……。実は人は自然から大きな影響を受けていると学んだ。2年半ほど学び、早稲田大学高等学院に進学、以後はバスケットボール漬けとなる。インターハイに出場するレベルの部。1日1千本シュートを打ち、コートを30往復走る日々。高校で親しくなったのが、同じくハードな練習で、後に花園に行くラグビー部の佐々木卓(63)。現在、TBSテレビの社長を務める。

「お互い本当に激しい練習に明け暮れていたんですが、休みの日はよく一緒に演劇や映画や写真を観に行っていました。心の渇きを一緒に埋めに行っていたのかな。僕の中では、彼はそういう存在なんです。だから、ビジネスの世界で有名になったというのは、本当に意外でした」

 早稲田大学法学部に進学すると、出会った仲間たちと、今も残る学生向けの同人誌「マイルストーン」を立ち上げた。一方で2年生の終わり頃には就職活動も始めた。自分は何で生きていくのか、早く定めたかった。多くの人に会い、最後に決めたのは、ものづくりをする会社。その中からキリンビールを選んだ。当時、ビール市場で50パーセント超のシェアを持つガリバー企業だった。

「いいものを作るけど宣伝が下手だと面接で教わって。自分の出番があるかも、と思ったんです」

 だが、配属は営業。しかも、新入社員の多くが東京に配属される中、一人、群馬や栃木など関東5県をカバーする関東支社に配属になった。

「月曜に出ていって、金曜に戻ってくる出張営業。ベテランばかりなんですよ。ショックでした」

■ドライブーム時の逆境が「FIRE」の大ヒットに

 だが、これが後に幸運だったとわかる。関東支社はエリアが広く、営業先も多種多様。問屋、酒屋、スーパー、居酒屋、ゴルフ場……。いろんな業態を見ることができた。ベテランの営業の中で一人、若かったことも意味を持った。一生懸命やっていると、それだけで取引先から可愛がられるのだ。しかも営業の仕事はイメージと違った。

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