「湖池屋のスナックは料理になるんです」と語る。実は今、1日に5食、6食と少しずつ食べる若者が増えている。スナック菓子がまさに「食事」になる。そんな時代に向け、新商品の開発が進む(撮影/伊ケ崎忍)
「湖池屋のスナックは料理になるんです」と語る。実は今、1日に5食、6食と少しずつ食べる若者が増えている。スナック菓子がまさに「食事」になる。そんな時代に向け、新商品の開発が進む(撮影/伊ケ崎忍)

「研修で変わった先生が来るんです。あるときは、寅さんみたいな口上を練習させられて。“寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、結構毛だらけ、灰だらけ……”。営業ってもっとスマートなものだと思っていたんですが、“てやんでい”の練習(笑)。このとき自分の中でポロンと何かが弾けた。このくらいハミ出さなきゃダメなんだ、と」

 得意の絵で手作りPOPを作り、売り上げに貢献。取引先と酒を飲み、温泉につかり、カラオケに行った。店舗レイアウトもアドバイスするなど思い切った提案で、競合から大幅にシェアを奪った。気がつけば、どんどん営業成績が上がった。いつしか「関東支社のブルドーザー」と呼ばれるようになった。しかし87年、予期せぬ事態が起きる。アサヒスーパードライの発売である。

 空前のドライブーム。贔屓(ひいき)にしてくれていた取引先のシェアがどんどん落ちていく。

「ショックでした。しかも単なる新商品ではなくて、スタンダードが変わる、という瞬間でした」

 いくら営業力があっても、商品自体に力がなければダメだと痛感した。商品開発に異動を申し出る。90年、希望が叶(かな)ってマーケティング部門に移ったが、待ち構えていたのは、新たな試練だった。用語もわからない。上司の指示すら理解できない。これほど緻密な世界なのか、と驚いた。必要なのは、表面に現れていない消費者のインサイトを理解すること。膨大な消費データと格闘し、消費者インタビューを繰り返す日々。毎週1日4グループ、年間100日以上、生の声、本音やクレーム、不満を聞いた。だが、思うような結果は出せなかった。今は、その理由がわかる。

「ドライを倒そうと、ドライのことばかり考えていたからです。でも、ドライを作っちゃいけないんですよ。むしろやるべきは、逆だったんです」

 8年を過ごし、ノンアルコール飲料を手がけるキリンビバレッジへ。そして前の8年間の苦しい学びを、このとき缶コーヒーで生かした。それが、99年発売の「FIRE」。発売わずか4カ月で1千万ケースというお化けヒットとなった。

「当時はバブル崩壊後で世の中のムードは癒やし一色でした。競合の戦略もまさにそう。だから、私は対極に振ったんです。自分の気持ちにエンジンをかけよう。暗い時代に火をともそう、と」

 簡単に世に出せたわけではない。社内の反対を何度も何度も押し切った結果だった。だから、思い切ったことをやると決めていた。スティービー・ワンダーが出演したCMは、佐藤が大ファンだったからだ。日本への応援歌を作ってほしいと手紙を書くと、気持ちが届いた。まさかのCM出演。宣伝も大きな話題となり、巨大市場の缶コーヒーの世界で地殻変動が起きた。その後も、「生茶」「アミノサプリ」などヒットを連発する。

「でも、失敗したものもたくさんあるんです。成功確率は1割でいい。普通のマーケターはそうは考えないですけどね。でも、世の中の概念が変わるような商品開発をやりたいんです。思い切ったことをやらないと、つまらないじゃないですか」

(文中敬称略)

(文・上阪徹)

※記事の続きはAERA 2023年5月29日号でご覧いただけます