6次元/東京・荻窪の「6次元」の店内。訪れる人はアジア、欧州、米国、中東など外国人も多く、翻訳された村上作品を寄贈してくれることも(写真:6次元提供)
6次元/東京・荻窪の「6次元」の店内。訪れる人はアジア、欧州、米国、中東など外国人も多く、翻訳された村上作品を寄贈してくれることも(写真:6次元提供)

■6次元は研究所や学校

 村上ファンの聖地として最も知られた場所の一つが、東京・荻窪のブックカフェ「6次元」だ。村上さんがノーベル文学賞を受賞するかしないか。その瞬間をファンが待つ光景はよく報道されてきた。

 店主のナカムラクニオさんによると、店があるのは元々30年以上続いたジャズバーがあった場所。内装も引き継いでいる。その店は村上さんが70年代に経営していたジャズ喫茶と常連客も共通だったという。そんな縁もあり、08年に「6次元」としてオープンするとファンが「村上春樹読書会」を頻繁に開くようになり、自然とハルキストが集まるようになった。コロナ禍前には海外からも多い日で20人ほど来ることもあったという。ナカムラさん自身も14年以降、『村上春樹語辞典』などを出版したり、地方で読書会を開催したりしている。

「(村上作品は)日常の現実とファンタジーを融合させているところが魅力の一つです。『答えは見つからなくてもいい』という受け入れの姿勢にみな惹かれるのではないでしょうか」(ナカムラさん)

 今は予約制。ナカムラさんは、6次元は単にファンが集まる場所ではなく、研究所や学校のような場所だと言う。

「もっともっと秘密の場所にしていきたいですね。東京には、文学の作品のような『魔法的な』空間が必要なんだと思います。今は看板も出していないので、どこにあるかわからない。それくらいの『解けない謎』でいいと思っています」

「ドライブ・マイ・カー」の舞台となった東広島芸術文化ホール「くらら」。濱口監督は「くららを村上春樹さんの聖地にしましょう」と話したという(撮影/ 編集部・井上有紀子)
「ドライブ・マイ・カー」の舞台となった東広島芸術文化ホール「くらら」。濱口監督は「くららを村上春樹さんの聖地にしましょう」と話したという(撮影/ 編集部・井上有紀子)

■原爆から復興した広島

 最近、聖地になったところもある。村上さんの短編小説を原作とし、22年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の3分の2が撮影された広島だ。広島フィルム・コミッションの西崎智子さんは言う。

「読後感と鑑賞後の感覚はまったく違いました。原作とは違った味を映画に感じました」

 その味を引き出した一つが広島だ。濱口竜介監督らがロケ地を探していたころ、西崎さんは中工場というごみ焼却工場に案内した。真ん中をガラス張りの通路が貫通し、通路を抜けた先は海。工場は原爆ドームと慰霊碑を結ぶ「平和の軸線」の先にあり、軸線をふさがないように通路は作られていた。このことが撮影の決め手になったという。

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