■暗殺された石井の遺志継ぎ 政治の道へと踏み出す

 石井が自宅前の駐車場で刺殺されたのは2002年だった。享年61。右翼団体の代表が出頭して逮捕、起訴の後、収監されたが、事件は多くの謎を残している。石井は社会を変えるには政治の膿(うみ)を出し、構造改革が必要だと説いた。

 翌年、泉は石井の遺志を継いで衆院選に出て、当選。真っ先に「犯罪被害者等基本法」の議員立法にとりかかり、成立に尽力した。これは犯罪被害者が被害を回復し、平穏な生活が送れるように支える法律だ。石井の娘ターニャ(50)が語る。

「世間では襲撃された石井、刺された石井と、父が殺されたことばかりが先行して語られがちで、正直言って、滅入(めい)りました。父が政治家として何をしたのか、父の仕事にもっと関心を持ってほしい。そうしたなかで、泉さんは、政治家の父をずっと真正面から受けとめて、いまも発信してくださっています。とてもありがたい」

 今年の6月19日、泉は、こうツイートしている。

「暗殺された日(2002年10月25日)のことは、今でもよく覚えています。突然の悲報に、本当に驚きました。石井紘基さんは、正義感の塊のような方で、国家の不正に真正面から切り込んでいき、そして殺されました。あれから、まもなく20年。国の政治は…」。泉もまた、自らまいた種とはいえ、地方の政治にはびこる古い構造と衝突し、引退に追い込まれた。「市長を辞めなかったら殺す」という脅迫メールが百何十通も送りつけられたが、捜査は進んでいない。この国の病巣はあまりに深い。

 衆議院議員を1期で終えた泉は、弁護士活動に戻り、市長選に立った。接戦を制し、それから3期が過ぎようとしている。幼保連携型認定こども園の理事長、佐々木薫が市民の気持ちを代弁する。

「3人目、4人目の子を産むお母さんが増えています。彼女たちは、とにかくいまの子育て支援策を続けてほしい、と願ってる。子どもが増え、食べ物の消費が増えてスーパーやお店が息を吹き返しました。戸建て住宅、マンションが次々建って建設業界も潤う。市民は泉さんの置き土産が受け継がれるか、しっかり見ていますよ」

 泉が土木費を削ったためにインフラ整備が遅れたという指摘もあるが、「道路も下水も必要なメンテナンスに集中している」と明石市技術担当理事の福田成男(しげお)は言う。福田は「火をつけてこい」と泉に怒鳴られた本人である。「あれは長い打ち合わせの一コマ。気にしてません。市長は『(立ち退かない建物の所有者に)わしが土下座でもなんでもする』と言うから、そんなことさせられません、とわれわれが対応して話はすぐつきました」

 政治の舞台裏には清と濁が入り混じる。すべてを腹に収めて、あと半年、泉は市長の職にとどまる。見守ってきたお地蔵さんは言うだろう。

「房穂、最後の仕上げや。存分にやりなさい」と。(文中敬称略)

(文・山岡淳一郎)

AERA 2022年10月31日号