両親は市に掛け合って母子寮の一室に障害児のささやかな居場所をこしらえる。障害児施設の先駆けだ。泉は学校から帰ると施設に通った。

「あんたは2人分もって生まれたんやから、弟に返しなさい」とよく母に言われた。

「テストで100点とっても、徒競走で一番になっても、なんでお兄ちゃんばっかりええかっこして、とほめてもらえへん。子ども心に自分の能力は、弟や他の人のために使おうと思った。そう思わないと精神的にしんどかったんちゃうかな」

 と泉はふり返る。弟は4歳で奇跡的に立ち上がり、じわりじわりと歩いた。家族は「間に合った!」と抱き合って喜ぶ。お兄ちゃんと一緒に二見小学校に通える、と。

昼食は、ほぼ毎日、きつねうどん。市役所の食堂で、あっという間に平らげる。自称、世界一の「いらち(せっかち)」で食事に時間をかけない。買い物をするのも苦手で、ゆっくり選べない(撮影/MIKIKO)
昼食は、ほぼ毎日、きつねうどん。市役所の食堂で、あっという間に平らげる。自称、世界一の「いらち(せっかち)」で食事に時間をかけない。買い物をするのも苦手で、ゆっくり選べない(撮影/MIKIKO)

 だが、行政は「養護学校に行け」と命じた。足が悪いのに電車やバスを使って遠くまで通えというのか! 両親は激怒し、市と渡り合う。「何があっても行政を訴えない」「送迎は家族がする」という条件をのんで弟は二見小学校に入った。

 その年の夏、全校児童で潮干狩りに行って、弟は深さ10センチの浅瀬で溺れた。倒れて起き上がれなかったのだ。大事には至らなかったが、ずぶぬれの弟の手を引いて帰りながら、兄は口惜(くや)しさに身を震わせる。「冷たい世のなか変えてやる」と強烈な意識が芽生えた。「弟は、こんなにええやっちゃのに何で冷たい目で見んねん。困ってるのに手を貸さへんねん。先生も、友だちも悪意はない。近所のおっちゃんもええ人やけど、何かが間違っている。人ではない、何かや。冷たい明石を一生かけてやさしい街にしよう」と心に決めた。

 多感で早熟な少年が「人のしあわせ」に覚醒したのは、小6の運動会で、だった。同級生の朝比奈は、その場面をありありと覚えている。

「観客席で、横にいた泉をふと見たら真っ赤な顔して涙を流してたんです。おまえ、なんで泣いてんねん、先生に怒られたんか、と言っても、黙って、前を見てた。視線の先のグラウンドで、泉の弟がね、50メートル走かな、出場してたんです」

 弟以外は、全員、とっくにゴールしていた。ただ一人、身体を傾け、ふらふらと走っている。

「他人に迷惑かけて、みっともない、止めればよかったと弟の顔を見たんです。そしたらね、満面の笑みですわ。こんなにええ顔するんやぁ、と気づいたら、涙が溢(あふ)れました。弟のためと言いながら、周囲の目を気にして走らせまいとした自分が一番冷たい。あのとき、人のしあわせは本人が決めるもんやと思いました。家族ではなく、本人が。あそこが自分の原点かな」

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