たかむら・かおる/小説家。1953年生まれ。商社に勤務後、90年に作家デビュー。『マークスの山』で直木賞を受賞
たかむら・かおる/小説家。1953年生まれ。商社に勤務後、90年に作家デビュー。『マークスの山』で直木賞を受賞

■原理原則おろそかに

 いろんな方面からつまみ食いで話を聞いて、アドバルーンを上げるんだけれども、いかんせんその先がない。現に「新しい資本主義」も、いまだに中身が見えません。エネルギー価格の高騰を受けて突如言い出した原発回帰も、現実にはあり得ない話です。原発の新増設や建て替えで国論を二分しているひまがあったら、いまはまだ旧電力が握っている発電と送電を完全別会社にして、託送料金をなくしてコストを下げるのが先です。ところが、これには経済産業省と旧電力の既得権益があって手をつけられない。一から十までそういう感じで、非公開の場で国の大事な方針を決め、その失敗のツケを払うのは国民です。

 政治家も私たち有権者も、最低限守らないといけない原理原則をおろそかにするからこうなるのだと思います。法律に書いていないことをやっちゃダメです。国葬の費用を予備費から支出するなんてことは本来あってはならない。そういうことを言い出す政治家もひどけれど、それを座視している有権者も有権者です。原理原則を大事にしていたら旧統一教会と政治家の癒着なんて起こらなかったはずです。

 安倍さんの銃撃事件は、元首相が過激なテロの犠牲になるという、かなり特異な事件でしたけれども、新興宗教の被害者、宗教2世と言われる存在はたくさんおられるわけで、問題の根っこは日本中にある。この事件を機に、世の中には社会の表の目に見えない不幸を背負う人たちがいっぱいいる、私たちが生きているのはそういう社会なのだということを、あらためて思い起こさせられました。

 旧統一教会をめぐっては、日本の政治家は本当に国益を考えているのだろうか、と思うことしきりです。日本人信者は韓国で活動する旧統一教会と関連団体の経済的基盤を支える役割を課されてきました。そうした団体と、自分の選挙のために結びつく政治家の神経がわからない。旧統一教会は反共であると同時に、戦前の日本の植民地支配を理由に日本人を搾取してきた団体です。そういう教会と関係の深かった政治家を国葬にするというのは、自民党右派の人たちが嫌う自虐史観ではないのでしょうか。

 この国葬はあくまで自民党のコップの中の話ですが、有権者の半数以上が反対しているなかで強行されるのは、一日本人としてほんとうに残念なことです。

(構成/編集部・渡辺豪)

AERA 2022年9月26日号