増上寺を出る安倍晋三元首相の棺をのせた車=7月12日、東京都港区、朝日新聞社ヘリから
増上寺を出る安倍晋三元首相の棺をのせた車=7月12日、東京都港区、朝日新聞社ヘリから

 国民に違和感が残ったまま安倍晋三元首相の国葬が行われる。小説家・高村薫さんの目に今回の国葬はどう映るのか。AERA 2022年9月26日号の記事を紹介する。

【写真】小説家の高村薫さん

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 岸田文雄首相はほんとうに目の前しか見えない人で、当面の政局や、自身の政治的な下心で動いているのが手に取るように分かります。国民なんて最初から眼中にない。安倍晋三元首相が亡くなってすぐに首相の頭に浮かんだのは、これをどう政治的に利用するか、ということだったと思います。

 一つは安倍派の保守勢力をどう取り込むか。もう一つは国葬で可能になる弔問外交。これも政権浮揚につながると考えたでしょう。内閣法制局の見解を聞き、閣議決定で事足りる、と解釈した岸田さんは「国葬でいける」と即決したのだと思います。

 しかし、直前まで財務省による文書改ざん問題で自殺に追い込まれた赤木俊夫さんの妻雅子さんが訴えた裁判が続いていましたし、モリカケ・桜をめぐる問題も片付いていない。いずれもまだ国民の記憶に生々しく残っています。そんななか、吉田茂元首相以来の国葬となると、ごく自然な国民感情として「何それ?」となります。「そんなに偉い人だった?」という素朴な違和感がぬぐえない。

 安倍さんの銃撃事件は日本の政治史に残る大きな出来事で、直後はみんなショック状態でした。死者にムチ打つのは憚られますし、過去は水に流して、という心情に傾いた人もいたでしょう。都内の寺院での安倍さんの家族葬はものすごい人出になりました。しかしあれは安倍さんの死を悼むというより、歴史的な出来事の目撃者になりたい、という大衆心理が働いたのだと思います。

 それを岸田政権は、「安倍人気はすごい」と勘違いし、国葬を行えばみんな受け入れると簡単に考えたのでしょうが、何もかも少しずつ読み間違えています。税金を使う国葬は本来、国会の議論を経ないと決められないはずです。国会の承認がいらない予備費から支出するのは、筋違いなのです。つまり、国会も見ていない。民意も見ていない。岸田政権は思いのほか、ずれている。というか、思いのほか、ひどい。

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