「ナパーム弾の少女」の写真から50年の節目に、米ニューヨークでのイベントに登壇した被写体のキム・フックさん(右)と、撮影者のニック・ウトさん(左)。中央は、レ・リエウ・ブラウンさん/6月6日、藤えりか撮影
「ナパーム弾の少女」の写真から50年の節目に、米ニューヨークでのイベントに登壇した被写体のキム・フックさん(右)と、撮影者のニック・ウトさん(左)。中央は、レ・リエウ・ブラウンさん/6月6日、藤えりか撮影

 ベトナム戦争末期の1972年6月、子どもたちがナパーム弾を浴びた直後をとらえた写真は世界に衝撃を与えた。写真は有名である一方、被写体の女性が自由を求めてもがいた長い道のりはほとんど知られていない。AERA 2022年6月27日号から。(前後編の前編)

【この記事の写真をもっと見る】

*  *  *

 6月6日夕、米ニューヨーク・マンハッタンの写真美術館「フォトグラフィスカ」に、米国人ら約100人が集まった。あの写真から50年の節目に、戦争・紛争の写真報道の意義を考えるイベントが開かれたのだ。

 スクリーンに、粒子の粗いモノクロ写真が映し出された。中央で、裸の少女が必死に叫び、奥の兵士の背後で黒煙が立ち上る。日本の教科書にも載り続けている有名な写真だ。

 それを背に壇上に座ったのは、この写真を撮った元AP通信写真記者ニック・ウトさん(71)、そして、鮮やかなオレンジ色のアオザイをまとった被写体のキム・フックさん(59)。さらに、ロシアによる侵略が続くウクライナの取材から戻ったばかりの現代最高峰の戦争写真家、ジェームズ・ナクトウェイさんをはじめ、名だたる写真記者らが並んだ。

 まずニックさんが、当時の状況を説明した。

「上空に飛行機が飛んできて、四つの爆弾を落とした」「逃げ出す人たちの写真を撮っていると、裸の少女が駆けて来るのが見えた。大火傷を負い、生きているのが信じられないほどだった」「彼女をAPのバンに乗せて病院へ連れて行き、渋る看護師を説得して託した」

 ニックさんはさらに、砲撃で破壊されたサイゴン郊外の自宅跡で立ち尽くす女性を撮った、1973年の別の写真も紹介した。するとナクトウェイさんが、ウクライナで破壊されたアパート前に佇む女性を撮った自身の写真を映し出し、言葉を継いだ。「ニックの写真にあるのは、まさに今ロシアがやっていることと同じだ」「戦争で最も被害を受けるのは、市民だ」

 この日のイベントの、まさに核心と言える訴えかけだ。

次のページ