ジミー大西(じみー・おおにし)/1964年、大阪府生まれ。82年、吉本興業に入社。裏方、付き人などを経てタレントに。画業は92年から始め、今年で30年の節目を迎える(撮影/写真映像部・高橋奈緒)
ジミー大西(じみー・おおにし)/1964年、大阪府生まれ。82年、吉本興業に入社。裏方、付き人などを経てタレントに。画業は92年から始め、今年で30年の節目を迎える(撮影/写真映像部・高橋奈緒)

 今年で画業30年を迎える。世界各国を放浪しながら多彩な作品を生み出してきた。その集大成ともいえる全国巡回展「POP OUT」が4月27日に開幕する。AERA2022年5月2―9日合併号から。

【写真】ジミー大西さんの作品「THE 銀座」

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──「やってる、やってるー」「お前もがんばれよ」などの一発ギャグと、予測不能の天然キャラが印象的なお笑い芸人、ジミー大西(58)。画家としてのキャリアも長く、原色を大胆に使った生命力あふれる作品群は、国内外から高い評価を受けている。

 今年で画業30年を迎えるジミーが画家の道を歩み始めたきっかけは、1992年に出演したテレビ番組だった。

ジミー:僕は(明石家)さんまさんの付き人だったんですけど、IMALUちゃんがまだ小さい頃、よく一緒にお絵描きをして遊んでいまして。ある時、さんまさんが僕の絵を見て「お前、変わった絵を描くなあ」と言って、「EXテレビ」という番組に僕を推薦してくれたんです。美術品を鑑定する企画があったので。それで初めて絵を描いて持って行ったら33万円の値がついた。自分でもびっくりしました。

キャンバスからはみ出せ

──驚いたのは絵の価格だけではない。番組を見たある人物から、放送局に一枚のFAXが送られてきた。そこにはジミーに宛てたメッセージが綴られていた。

ジミー:「四角い枠を気にせず、キャンバスからはみ出せ」と。送り主は岡本太郎先生でした。もう、感激ですよね。小学生の頃に大阪万博で「太陽の塔」を見て以来、僕の中で太郎先生は特別な存在。そんな人から言葉をいただけて「人生変わるんちゃうか?」って本気で思いました。

 実際、それを機に絵の依頼が殺到して。当時8本くらいレギュラー番組があったんですけど、タレント業よりも絵の仕事のほうが忙しくなってしまって、自分の中でバランスがとれなくなってきた。それで、意を決してさんまさんに「絵に専念したい」と相談しました。すると、「わかった、描いたらええ。でも、一緒にやっている皆さんにちゃんと筋を通してからにしなさい」と。そこからはもう、お前の好きなようにやれと背中を押してくれました。

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