THE 銀座(2022年)/「銀座展のために描いた新作。銀座4丁目ですね。初めて訪れたのはちょうど40年前なんですが、忘れられないです」(ジミーさん)(写真:ジミー大西さん提供)
THE 銀座(2022年)/「銀座展のために描いた新作。銀座4丁目ですね。初めて訪れたのはちょうど40年前なんですが、忘れられないです」(ジミーさん)(写真:ジミー大西さん提供)

──こうしてジミーは96年に芸能活動を休止し、単身スペインへ向かった。

ジミー:ピカソを追いかけたいな、と。太郎先生がピカソの絵を見て泣いたという逸話を聞いて、ピカソはどんな生き方をしていたのか、なんでこんなに変化できるのか、興味があったんです。

 生まれ故郷のマラガへ行ったり、「ゲルニカ」の舞台であるバスク地方へ行ったり、いろいろ回りました。絵もたくさん描いた。バルセロナで個展を開いた時は、有名な画商から「君の絵を扱ってもいい」と言われたんですけど、売り上げの配分は9対1だと。もちろんあっちが9なので辞退しました(笑)。

ブラジルで作った蝶

──スペインで充実した時間を過ごし、「もう十分だ」と感じたジミーは、3年後に日本へ帰国。そこからまた興味の赴くままに世界中を飛び回った。今でも印象に残っているのは99年、ブラジルでの出来事だ。

ジミー:ステンドグラスできれいな蝶を作って、パラ州の博物館に寄贈したんです。そしたら、現地の子どもたちの間で僕の作った蝶が大人気になったらしくて。パラ州政府から手紙がきて、「文化功労賞を差し上げたいから、来てくれないか?」と。無税で金を持って帰れる資格もあげるからって。

 それで、金のオブジェが作りたいなと思って、金を採掘しに行ったんですけど、今にも墜落しそうな小型飛行機でそのへんの空き地に着陸するから、むっちゃ怖かった(笑)。もう二度と乗りたくないです。

──その後もジミーは「キャンバスからはみ出せ」の言葉どおりに、枠にとらわれない創作活動を展開する。

ジミー:2005年に、大阪ガスの創業100周年事業の一環で、40人の子どもたちと僕が一緒に描いた絵を引き伸ばして、天然ガスのタンカーの丸いところに貼り付けてもらいました。モチーフにしたのは魚やカニ、エビ、かめのような海の生き物です。総面積4千平方メートルにもなる大きな絵が海を渡るところを想像しながら作るのは、すごく楽しかった。

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