フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング(FJM)勤務 村上日奈子さん(23)/宮城県石巻市のFJM海外事業部で働く。昨年4月、同社が運営する海鮮丼などを提供する「ふぃっしゃーまん亭」が仙台空港2階にオープンした(写真:本人提供)
フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング(FJM)勤務 村上日奈子さん(23)/宮城県石巻市のFJM海外事業部で働く。昨年4月、同社が運営する海鮮丼などを提供する「ふぃっしゃーまん亭」が仙台空港2階にオープンした(写真:本人提供)

 大変な作業だが、野田さんは故郷の海を次世代に引き継ぐためにも続けると力を込める。高校の同級生はほとんど地元を離れ、仙台や東京などの会社に就職や進学をした。漁師になる若者も減った。だからこう思う。

「もっと漁師を増やして漁業の盛んな町にしていきたいと思います。そのためにも、元の海に戻したいです」

 東日本大震災から11年。地震、津波、そして原発事故によって東北は大きなダメージを受けた。被災地の人口は都市部に流出し、2020年の国勢調査によれば岩手、宮城、福島の被災3県42市町村で、この10年で4.3%減少した。しかも、20歳から24歳の若者が占める割合を見ると、岩手は2.8%、宮城は5.3%、福島は3.5%と総じて低い。だが、それぞれの決意を胸に、故郷と向き合い、復興とともに歩み始めた20歳前後のZ世代は少なくない。

「私たちが動かなきゃ、誰が動くんだという思いです」

 宮城県石巻市。若手漁師集団「フィッシャーマン・ジャパン」の販売部門「フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング(FJM)」で働く村上日奈子さん(23)は、力を込める。

 震災の時、村上さんは石巻市内の小学6年生。家族は無事だったが、海から1キロほど離れた自宅は全壊。2年半近く、仮設住宅で暮らした。高校に進学するともっと大きな世界を見たいと思い、卒業後はアメリカの短大に留学した。

■若者が前を向いて働く

 地元愛はなかったという。就職はハワイの観光業で働くことに決まっていた。しかし、そこに新型コロナが襲った。観光業で生活していくのは難しいと思い、一昨年4月に帰国。

 ただ、自分は何をしたいのかわからない。地元のカフェでバイトをしていて、石巻の活性化のために頑張る人たちと多く出会った。

 私も地元に貢献したい──。

 そう思うようになった時、今の職場が社員を募集していると聞いた。英語力を生かし、金華サバやホタテなど、おいしい地元の魚介類を扱うことができる。昨年6月、FJMに入社した。海外事業部に所属し、主にアメリカの水産業者を相手に取引をする。自分の手続きで石巻の魚介類がアメリカにわたり、現地のスーパーに並んでいると思うとワクワクすると話す。

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