社会は急速に変化しており、過去の価値観では通用しない。国の政策も、課題解決の仕方も、働き方も。従来の成功モデルは疑わなければならない。「変える人」はいま何を思い、行動しているのか──。AERA 2022年1月3日-1月10日合併号は、元フィギュアスケーターで、國學院大助教の町田樹さんに話を聞いた。
* * *
2014年の暮れ。その年に開催されたフィギュアスケートの世界選手権で銀メダルを獲得し、ソチ五輪でも5位に入賞した町田樹(31)が突然、現役引退を発表した。当時24歳。翌春の世界選手権の代表に選出された直後のことだった。
「今後は新たな道でゼロからスタートし、研究者を目指して真摯に歩んでいきたいと思います」
氷上でそう決意を語った通り、引退後は早稲田大学大学院で研究に打ち込み、20年3月に博士号(スポーツ科学)を取得すると、同年10月に國學院大學の助教に着任。競技者から研究者兼教育者へと転身し、スポーツが抱える問題と向き合っている。
「スポーツ界は華やかな面が主に取り上げられますが、舞台裏ではいろいろな問題があります。学術の力を使ってそれらの問題を解決したい。ただ机上で研究するだけでなく、その成果をスポーツ現場に還元することが自分の使命だと思っています」
■実は勉強できなかった
フィギュアスケートとの出合いは3歳のとき。当時住んでいた千葉県松戸市の自宅近くにスケートリンクがあったことがきっかけだった。9歳で転居した広島には通年で使用できるリンクがなく、新幹線や車で岡山や福岡に通って練習を重ねた。高校2年のときに全日本ジュニア選手権で優勝し、関西大学に進学後には主要な国際大会で表彰台に上がるようになった。トップスケーターでありながら、競技性以上に芸術的側面に価値を置き、その表現に多くのファンが魅了された。
ドイツの哲学者ヘーゲルの『美学講義』を読む姿から、「氷上の哲学者」と呼ばれたが、高校までは決して勉強ができるタイプではなかったという。