■立憲が弱い三つの理由

──いい立ち位置を取ったはずの立憲。支持が上がらない原因はどこにあるのでしょうか。

保坂:結党時に訴えていた「ボトムアップの政治」が果たしてできているかどうかが問われていると思います。

 やや古い話になりますが、前回の東京五輪が行われた1964年の元日、社会党の機関誌『社会新報』に、成田知巳委員長が社会党が弱い理由を3点挙げています。のちに「成田三原則」と呼ばれるものです。

 一つは「日常活動の不足」。二つ目に組織としての実体がなく、議員がいるだけという「議員党的な体質」。三つ目が「労働組合依存」。この3点は、2回目の東京五輪をやってしまった今も意外と立憲に当てはまるのではないでしょうか。

 枝野氏が先日、共産党との価値観の違いを強調しましたが、現場が一生懸命、野党の協力に向けて努力しているなか、どこを向いた発言だったのか。「自民党丸」が血行の循環が悪くなっている以上に、57年間も歴史を進めることができない宿痾(しゅくあ)のような壁ですね。

中島:政治学的に言うと、枝野氏が17年に動かしたのは、「ラディカルデモクラシー」と呼ばれるものでした。

「官から民」へという新自由主義の政治になればなるほど、政治の領域が小さくなっていき、1票の価値が下がります。さらに、小選挙区制を導入した影響で、多数派を取らないといけない2大政党はマジョリティーに意見が寄っていき、少数意見が排除されてしまう。こうした背景のなか、本来は主権者なのに「私の意見なんて誰も聞いてくれない」と疎外感を持つ人が増えています。そこに、枝野氏は「立憲民主党はあなたです」と言って火をつけようとしました。日常活動から議員と私たちは対等な関係ですという理念の「パートナーズ」の制度を作ったのが象徴です。

 ところが、立憲の支持率は18年夏にガタッと下がります。国民民主党と参院の野党第1党を争っていたころです。明らかに永田町の論理に見えました。そして、パートナーズの制度をつくっても、政策立案などいろんなものがトップダウンで決まる党の構造に引きずられて機能不全を起こしました。それが広範な支持を得られていないところにつながっていると思います。

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