夢と希望がつまったドラえもんの世界は、時を経ても変わることがない。ひっそりとするコロナ禍の夜も、元気を与えてくれる/2021年1月7日、東京・渋谷で (c)朝日新聞社
夢と希望がつまったドラえもんの世界は、時を経ても変わることがない。ひっそりとするコロナ禍の夜も、元気を与えてくれる/2021年1月7日、東京・渋谷で (c)朝日新聞社
ミニドラを目指して作製中のロボットを手にする大澤正彦さん。大学の講義は週8コマ。論文執筆、企業との共同研究に講演もこなす(写真:大澤さん提供)
ミニドラを目指して作製中のロボットを手にする大澤正彦さん。大学の講義は週8コマ。論文執筆、企業との共同研究に講演もこなす(写真:大澤さん提供)
昨年12月、日本大学文理学部次世代社会研究センター(RINGS)の設立記者会見。大澤さんが「ドラえもん」をつくる基盤となる(写真:大澤さん提供)
昨年12月、日本大学文理学部次世代社会研究センター(RINGS)の設立記者会見。大澤さんが「ドラえもん」をつくる基盤となる(写真:大澤さん提供)

 昨年12月に設置された日本大学文理学部次世代社会研究センター。センター長はまだ20代の新米教員だ。彼は「ウニ型組織」で社会を変え、ドラえもんをつくる、という夢を本気で実現しようとしている。AERA 2021年3月22日号で取材した。

【写真】ミニドラを目指して作製中のロボットを手にする大澤正彦さん

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 漫画家の藤子・F・不二雄さんが「ドラえもん」を世に送り出したのは1969年。作品のキャラクターには時代の伴走者のような親しみがある。もしドラえもんがそばにいてくれたら、と願った幼少期の記憶のぬくもりは今も抱えたままだ。でもまさか、本気でドラえもんをつくりたいと考える研究者に出会えるとは思ってもみなかった。

 日本大学文理学部情報科学科の大澤正彦助教(28)は柔らかな口調で、夢と向き合ってきた軌跡とワクワクするビジョンを丁寧に説明してくれた。

 大澤さんはいつ、ドラえもんをつくりたいと考えるようになったのかは覚えていない。それは物心つく前からの夢だった。ただ、子どもの頃、大人の前で「ドラえもんをつくりたい」と話したときに笑われた記憶が焼き付いている。大澤さんは深く傷つき、夢もドラえもんのことも口にしなくなった。

 工業系の高校も理系の大学も、ドラえもんをつくるスキルを磨く野心を抱いて進学した。だが、高校の推薦入試の面接でも卒業研究に臨むときもドラえもんのことは封印した。

 運命のドアが開いたのは大学4年のとき。「全脳アーキテクチャ若手の会」(以下、若手の会)を設立したのが、人生の転機になった。

「ここで初めて本当の意味での仲間に出会えたと思います」(大澤さん)

「若手の会」は、AI研究の第一人者の山川宏氏が代表を務める「全脳アーキテクチャ勉強会」に参加していた学生を中心に発足。大澤さんが初代代表に就いた。フェイスブック登録は瞬く間に2600人に膨らみ、日本最大級の人工知能コミュニティーに発展した。

 一番の楽しみは、コアメンバーとの飲み会だった。この仲間の前で大澤さんは「ドラえもんをつくる夢」を初めて率直に語ることができた。みんな真剣に耳を傾けてくれ、大澤さんは夢に向かって全力で進む力をもらった。

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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