高校を卒業し、名古屋で次姉と暮らしながら歯科技工士の専門学校に通い始めたとき、父が亡くなった。享年57。仕事先で脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。突然のことに頭が真っ白になった。父は休みのたびに釣りなど自分の趣味に没頭し、幼い伊藤をかまうことはなかった。そんな父に反抗していた時期もあったが、実家を離れてようやく打ち解けてきた矢先だった。人前では泣かなかったし、大きな感情の動きは記憶にない。ただ、もうちょっと生きていたら一緒に酒を飲んだかもとは思う。伊藤の代表作でうずまき状のものに侵食されていく町や人の恐怖を描いた『うずまき』の第1話に、ヒロインの恋人・秀一の父がアンモナイトの化石やうずまき模様の着物などのコレクションをじっと見つめているシーンが登場する。庸子は言う。

「あの一コマは、私たちの父の姿そっくりに描かれていてとても印象深いんです」

 専門学校卒業後、名古屋の歯科技工所で働き始めた。そして、22歳のとき、運命が動き出す。

 創刊したてのホラー漫画誌「月刊ハロウィン」で第1回「楳図賞」の募集告知を見つけたのだ。歯科技工士になって3年。やりがいはあったが、しんどさを感じてもいた。困るのは冬場だ。冷え性で手が思うように動かず、歯型をとるためのワックスが、手の冷たさで硬くなりパリパリと割れてしまう。「向いていないのかな」と思い始め、現状を打破しようと応募する決心をした。(文中敬称略)

(文・中村千晶)

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