批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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あまりのことに呆然としている。中日新聞と西日本新聞が16日報じたリコール不正問題だ。
出発点は2019年に愛知県で開かれた国際芸術祭。展示内容を問題視した医師の高須克弥氏が呼びかけ人となり、昨年8月から2カ月余りのあいだ、大村秀章知事の解職を求めて署名が集められた。
高須氏は右派のカリスマで大きな影響力をもつ。署名運動でも強気の発言を繰り返し多くの著名人を巻き込んだが、11月7日に突然署名運動の停止を発表。同時点で集まっていた43万5千筆強が選挙管理委員会に提出されたが、必要数の半分にとどまり、リコールは不成立となった。
ところが事態はその後急展開を遂げる。突然の運動休止で求心力を失ったのか、高須氏の団体は急に足並みが乱れ、12月にはスタッフが不正を告発。選管が調査に乗り出したところ、なんと提出署名の83%強、じつに36万2千筆に不正が見つかる事態に至った。15日には刑事告発もされている。
これだけでも前代未聞の事件なのだが、さらに16日に明らかになったのはそのあまりに大胆な手口である。報道によれば不正署名の一部は、事務局の指示のもと下請け会社が多数のアルバイトを集め、佐賀県内の会議室で愛知県民の氏名・住所を書き写させ10月ごろ作成されたものだという。参加者は人材募集サイトで集められ、作業は2週間に及び、時給も支払われていた。
事実だとすれば、署名捏造には組織的関与があると考えるほかなく、民主主義の理念を愚弄するもので到底許される話ではない。真相究明と責任者の処罰を強く求めたいが、加えて愕然とするのは、かくも大胆な不正が何カ月も隠されていたという現実に対してである。
高須氏のリコール運動は全国的に知られていた。署名簿には氏の顔写真が印刷され、たとえ佐賀県でも参加者のほとんどは自分がなにをしているか理解できたはずである。それなのにだれひとり通報も告発もせず、仕事と割り切って犯罪に加担していた。マスコミも気づかなかった。その状況には言葉を失うものがある。今の日本社会はなにかがおかしい。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2021年3月1日号