1年延期となった東京五輪・パラリンピックの開催を不安視する声が広がる。だが選手たちは開催を信じひたむきに努力を続ける。全力で支えてくれる家族とともに。AERA 2021年2月1日号で、パラアスリートとその家族が、家族の歴史や葛藤、喜びを語ってくれた。
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「兄とは、大人になった今の方がよく話をしています。真面目で頑固な兄は、子どもの頃からとにかく怖い存在でした」
そう話すのは、スポーツ義足の第一人者・臼井二美男を師匠に持ち、パラバドミントン日本選手権6連覇の藤原大輔の義足やパラ陸上の重本沙絵の義手などを手掛ける義肢装具士の藤田悠介。「兄」とは、パラサイクリングで北京、ロンドン、リオと3大会連続でパラリンピックに出場、銀メダル3個、銅メダル2個を獲得している藤田征樹だ。
藤田兄弟は北海道・稚内の出身。共に小学校時代はスピードスケート、中・高では陸上に取り組んだ。だが大学でトライアスロン部に所属していた征樹が夏休みの帰省中、交通事故で両足のひざ下を切断する大ケガを負った。悠介が振り返る。
「兄が苦しむ姿を誰にも見せないので、家族も落ち込んでいられなかった。本当に痛い時は『ちょっとお前、出ていけ』って」
今も悠介が覚えているのは、兄が入院中「俺、また走るから」と言って、手術室に入っていったことだという。
「その時から義足のことを考えていたかどうかはわかりませんが、本当に両足義足でトライアスロンに復帰した時にはびっくりしました。有言実行したことは兄らしいですけどね」
兄の事故は悠介の人生にも影響を与えた。
「進路を決められずにいた高校時代、進路指導室で義肢装具士のパンフレットを見て、『これだな』と。小さい頃から手先が器用で、物を作ることが好きだったのと、義足を作る技術があればずっと兄に関わっていけるんじゃないかと思ったんです」