■社会人として共に成長

 悠介は神戸の専門学校に進み、義足作りを学んだ。後に師匠となる臼井と大阪の競技場で話す機会があり、勉強を重ねて臼井がいる鉄道弘済会への入社も果たした。

 パラリンピックレベルの選手の希望を形にするには、高い技術に加え「アイデア勝負で、発想力と瞬発力がいる」(悠介)という。入社してすぐの頃は征樹から「お前には俺の義足は触らせない」と言われていたが、若手の一人としてめきめき腕を上げ、トップアスリートの義足を手掛けるまでに成長した。

「いろいろな巡り合わせでここにいるけれど、この職業が天職だと思っています」(悠介)

 征樹は、2007年にパラサイクリングに転向した後も、自らと同世代の義肢装具士・齋藤拓(アイムス勤務)と共にベストの義足を目指して奮闘している。それぞれが社会人として経験を積んだ今、兄弟はそれとなく互いの様子を気にかけ、連絡を取り合う。しかし仕事の話はほとんどしないという。

「結局、僕にとっては『お兄ちゃん』なんですよ。なので、話すのは、趣味の釣りやおいっ子たちのことばかり。兄弟なんてそんなもんじゃないですか」

 過去3度のパラリンピックには、仕事などで応援にいけなかった。東京大会はチケットも取り、準備は万全だ。

「義肢装具士としては担当している選手たちにいい顔で競技してほしいので、自分にできることを全力でやるだけ。兄については、とにかく楽しんでもらいたいです。僕は、おいっ子たちと楽しく応援しますよ」

(文中敬称略)(ライター・川村章子)

AERA 2021年2月1日号より抜粋