「震災、コロナ禍、または家族の病気と、つらい現実に直面した時に、人を救ってくれるものの一つがドラマです。私にとっては現実逃避であり、同時にエンターテインメントで、テーマが暗いか、明るいかは関係ありません。そして、自分が作るならば、少しでも有意義なものにしたい」

 今から10年以上前。鬼怒川温泉で岡野は警官の職務質問にあっていた。直前までスタッフとともに、吊り橋からマネキンを何度も川に投げていたというから、警官だって見逃せないだろう。
「はい、人をどう殺せばいいか、それを考えていました」

 04年に新卒でTBSテレビ系の制作会社テレパックに入社。ドラマ制作のAD(アシスタント・ディレクター)を経て、AP(アシスタント・プロデューサー)を務めていたが、そこで直面していたのは、民放の地上波ドラマに課せられた宿命的な制約だった。

「端的にいうと、殺し方が限られていたんです。なぜならスポンサーの意向が絶対だったから。製薬会社なら毒殺、自動車メーカーなら交通事故はあり得ない。もちろん当たり前のことではありますが、その結果、崖や吊り橋からの投身しかできなくなっていたんですね」

 殺し方だけではない。家電メーカーがスポンサーなら新しい冷蔵庫なりを、どこかで必ず映さねばならない。そうなると、本筋とは関係ないところでドラマが停滞する。仕事に打ち込んでいた分、フラストレーションは大きかった。

 そんな時、WOWOWで観たドラマに衝撃を受けた。同局の看板プロデューサー、青木泰憲(やすのり)が制作した「パンドラ」。がんの特効薬をめぐる医療サスペンスで、そこでは毒殺をはじめ、あらゆる禁じ手が堂々と使われていた。

 なぜそれが可能だったか。WOWOWがスポンサー収入ではなく、契約者が支払う加入料金で経営される有料ペイチャンネルだからだ。ここに新天地を感じ、09年、同社に中途採用で入社する。

 1982年生まれの岡野には、ドラマ好きの素養があった。子どものころから無類の読書家で、中高大は演劇部に所属。思春期に夢中で観た安達祐実主演のドラマ「家なき子」は今も原点にある。

 岡野が10代だった90年代は「愛していると言ってくれ」「ロングバケーション」など、ラブロマンスも輝いていた。岡野自身も、放課後にミニスカート、ルーズソックス姿で、友達とプリクラ三昧という、キラキラな青春を送っていた。

 スポンサーの制約から逃れ、新天地を得たのであれば、そのような「女子ドラマ」を志向してもおかしくなかった。しかし、岡野がここで選んだデビュー作は「なぜ君は絶望と闘えたのか」。山口県光市で起きた、未成年者による母子殺害事件の被害者を、門田隆将(62)が描いたノンフィクションが原作で、重すぎるほど重いテーマである。

 この事件は、残虐な罪を犯しても、加害者が未成年であれば少年法に守られる一方で、被害者遺族の苦しみや、知る権利が置き去りにされているという制度のねじれを内包していた。被害者の夫、本村洋が全力を振り絞って、遺族の権利保障を世に訴える姿は、メディアを通して全国に伝えられ、注目度は抜群だった。

(文・清野由美)

※記事の続きはAERA 2021年1月25日号でご覧いただけます。