折々に対局の解説も行う安次嶺さんは、感想戦をみれば、トップ棋士こそ振り返りを大事にし、「次は、もっと」とあくなき探究心を持ち続けているのがわかるという。

 印象深いのが、羽生善治九段があるタイトル戦に挑んだ際に目にした光景。羽生さんには残り時間が1時間あり、自分が負けだとわかっている局面でいつまでも投了せずに盤面を凝視し、考え続けていた。後日、安次嶺さんが対談の場で「なぜ、考え続けるんですか?」と尋ねると、羽生さんは、こう答えたという。

「簡単に投了すれば、その時は楽だけれど、次に全力が出せなくなる。『自分は最後まで最善を尽くして負けたんだ』と、感想戦などを通じて振り返った時に思えるかどうかが大事なんです」

 探究性を高める感想戦の要素を、教育現場に生かす取り組みもある。聖隷クリストファー大学(静岡県浜松市)社会福祉学部こども教育福祉学科で実践している「板書感想戦」だ。

 将来、先生となって授業をする学生たちが先生役と児童役とを交代して模擬授業を行う。授業を担当しない回は、児童役兼参観者となる。授業の流れが記録されているのが「板書」であり、それを将棋の盤に見立てる。授業後、参考になった授業のやり方だった板書の箇所は黄色の、要検討の箇所は赤い付箋を貼っていく。すると、付箋の色の分布で、授業の振り返りができる。特に、要検討箇所の指導のあり方を吟味する。

■「板書感想戦」の効果

 発案したのは、同学科の飯田真也教授。将棋の感想戦に着目したのは、「この局面でこの手は、どんな意味があるのか」という、意味の理解が深まる点だ。

 今年6月から8月まで、算数科指導法で板書感想戦を試みたところ、「授業者も参観者も分け隔てなく、全員が板書に向かうことで、最善の手、つまり『より良い指導のあり方』を目指す協働の場での探究性が生まれた」と、飯田教授は実感している。

 このように将棋には、感想戦一つを取ってみても、子育てに効く要素が満載だ。とはいえ、まだ幼く、初心者のうちは感想戦の意味を見いだせないし、細やかに感想を述べ合うのは難しい。盤面一つひとつをクリアに記憶しきれないからだ。前出の高橋女流三段は言う。

「感想戦って、正直、子どもの頃はしたくなかった。負けた後はやっぱり悔しいし、早く終わりたいし。だから、子どもが本将棋を指せるようになったら、対局後に『まずは良かったことを一つ、悪かったことを一つ、お互いに言ってごらん』と。そういうところからスタートしてみるとよいと思います」

(ノンフィクションライター・古川雅子)

AERA 2020年10月5日号