「何度も負ける経験をして、自分の中での折り合いの付け方を学んでいくのが将棋。この負けを認めるプロセスって、子どもにとっては苦しいと思いますよ。悔しくて、涙を流す子どももいます。私も小2で道場に通うようになった時、大人の人たちにどうしても勝てない自分が悔しくて、目にいっぱい涙をためて帰りの電車に乗っていた日々がありました」(高橋さん)

「三つの礼」は、対戦相手とフェアに戦う精神性を養う。ひいては、将棋そのものの強さにもつながる──。そう話すのは、東京福祉大学教育学部の専任講師で、日本将棋連盟学校教育アドバイザーを務める安次嶺(あじみね)隆幸さん(57)だ。かつて、デビューしたての頃の藤井聡太二冠が、「負けました」と頭を下げて投了する相手よりも低く頭を下げていた姿を目にした。安次嶺さんは、「藤井さんが勝ったはずだが」と目を疑った。この「謙虚さ」があるからこそ、藤井さんは強豪の先輩たちを前にしても、落ち着いた気持ちで自分の将棋が淡々と指せるのではないかと言うのだ。

「少し前に、大学の授業で藤井さんの対局の写真を見せたことがあるんですよ。ある学生は、深々と礼をする姿を見て、『あれ? 藤井さん負けたんですね』と勘違いしたぐらいです」

 と安次嶺さん。藤井二冠の凄さは、この「謙虚さ」を今も続けていることにあるという。

■リスペクトを言葉に

 負けの宣言の礼の後は、一局を振り返る「感想戦」が始まる。安次嶺さんは、この感想戦こそが、将棋を将棋たらしめている大事なエッセンスだともいう。

 勝者も敗者も関係なく、二人がボソボソと感想を述べ合う。局面を再現しながら、たとえばこんな風に。

「この局面では、まだ(勝てる)自信はなかったです」
「私は7八金(という手)もあると思ってましたが」
「なるほど。そう来ると、銀で受けられますね」

 勝った側は相手の気持ちを察して大喜びしたい感情を堪え、相手へのリスペクトを言葉に込める。負けた側は冷静な目で勝負の内容を顧みる中で「心を折りたたんで」波立つ心を浄化していく。

 安次嶺さんは、負けの宣言から、「ありがとうございました」と“終わりの礼”に至るまでの間に感想戦の時間を挟むことの意義を、こう語る。

「直前まで真剣勝負を繰り広げていた相手と『もっと違う手もあっただろう』と最善を探り合う。これ、すごいことですよ。だって、ホームランを打たれたピッチャーが打者に『お前、今の球どうだった?』とは言わないでしょ? 将棋の場合は、あえて言うんです。それは、お互いに高みを目指す中で、高度な学びが得られるから。それと、一局を俯瞰する中で『あの時、勝ちを急いで焦る心理が邪魔をしていた』などと自己の内面を見つめ直す時間にもなる」

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羽生善治九段の感想戦には…